37 幸福の目盛り

2004.6


 人の性格なんてそれこそ人それぞれで、血液型がA型だからおとなしくて、B型だから明るいなんてことは言えるわけがないが、かといって血液型による性格の違いというのは、経験的にいえばあながち否定できないとぼくは思っている。血液型よりも、もう少し信頼のおけそうなのが有名なクレッチマーの性格分類で、やせている人は神経質で、太っているひとはおおらかだなんていうのは、かなり納得のいく説だが、一方では、神経質だからやせてしまい、おおらかだから太ってしまうということなのではないかという気もする。

 友人に100キロを超える巨漢がいるが、彼の言動を観察していると、太っているからおおらかなのか、おおらかだから太っているのか、よく分からなくなってしまう。しかし両者が分かちがたく結びついていることだけは確かである。

 ある時その彼に「あーあ、このところ宴会が続いたから、2キロも太っちゃたよ。」と言うと、「そんなの太ったなんていえませんよ。だいたい、体重計の目盛りが1キロずつなんてのがおかしいんだ。目盛りを5キロにすればいいんです。」と言い放った。目から鱗が落ちる思いだった。なるほど、ひと目盛りが5キロなら、2キロ太ったって記録できないんだから、太っていないのと同じだ。自分の考えが急にチマチマしたものに思えてきた。太っている人間には、太っている人間なりの思想があるのだ。

 もうこれから先は死ぬだけで、たいして面白いこともないなあ、というのが実感です、これは老年性うつ病そのものだけど、年寄りなら誰だってそう思っているに違いない、なんて吉本隆明が書いているのを先日読んだ。最近のぼくの実感とあまりに近いので、驚いた。かつての全学連の教祖が、年老いてこんなことを書くようになったのかと嘆く向きもあろうが、年をとれば思想も変わる。何の不思議もない。

 吉本は続ける。結局、年寄りはなるべく細かい目盛りで考えるべきなんだ、幸福も、不幸も長いスパンで考えちゃだめだ。極端にいえば、今日1日だって、朝は腰が痛くなかったので幸せだったけど、昼はパンがまずかったので不幸、でも夜にダウンタウンで笑えたから幸福だった、といった短いスパンで考えれば、結構楽しく生きていけるんじゃないか、云々。

 その通りだ。自分なりの目盛りを設定すること。その目盛りの設定のしかたで、あとは死ぬだけの人生にも、確かな幸福が宿るようになるに違いない。


Home | Index | Back | Next