33 夕焼けの幸福

2004.5


 今年も教室の窓からホトトギスの声が聞こえた。

 ぼくが栄光学園に勤務しはじめて、今年で勤続20周年ということになるが、勤め始めのころは、ホトトギスの声なんか滅多に聞くことはなかった。それがここ数年、毎年5月になると必ずその声を耳にするようになった。ホトトギスが増えたのか、それともぼくの耳が敏感になったのか、いずれにしても嬉しいことには変わりない。

 4月ごろからウグイスがさかんに鳴く、そして5月にホトトギスが鳴き、ある時は両方の合唱になる。それを職場で働きながら耳にすることができるのである。こんな幸せって滅多にない。けれども、そういうことを幸せと感じるかどうかは人それぞれである。

 高校の国語の教科書にモロッコの女たちの生活に触れた文章が載っていた。昼間は家事に忙しいモロッコの女たちは、夕方になると、黒いチャドル(目だけ出した服)に身を包み、ぞろぞろと外に出てくる。何しに出てくるのかと筆者が聞くと、ガイドは「夕日を見るためだ」と答える。筆者である免疫学の権威、多田富雄さんは、その女たちの姿を見て感動したというのである。そして、文明の進歩した日本より、モロッコの生活のほうが文化的な質は高いと感じたと記している。

 それを読んだ高校生の反応は様々だった。中でも多かったのは、そういえばぼくたちも夕焼けなんか見ていないなあという感想だった。冗談じゃないぜ、君たちはこの学校で4年間も暮らしながら、どうして空一杯の夕焼けを見たことがないなんていうんだ? 晴れてさえいれば、毎日のように美しい夕焼けが君たちの頭の上に広がっているじゃないか。そう叫んでも、そうかなあみたいな顔をしているだけだ。

 栄光学園は東京ドームの2.5倍という敷地面積を誇るから、空なんて四方に180度の広がりをもっている。その空の夕焼けをこの20年間、どれだけ感嘆の思いで眺めてきたことか。

 そうだよねえ、君たちは若いから夕焼けを眺めている暇なんてないかもしれないな。隣の友達の成績とか、自分の嫌な面とか、そんな「目の前」のことで頭がいっぱいなのかもね。それに、人間の目は、上のほうの視野が極端に狭く設計されているからね。

 でも、たまには、空を見上げてみよう。夕日や、雲や、星が、ぼくらの世界に与えられている幸福を感じよう。鳥の声が聞こえる世界の豊かさを実感しよう。それが、ほんとうは人間として生きることの第一歩なのかもしれないのだから。


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