28 意味なき会話

2004.4


 男と女を、あまりこうだと決めつけて語るのはよいことではないが、やはり違うといえばこれほど違う生き物もないわけで、だから「男はこうで、女はこうだ」といった比較論は原則として面白い。

 例えば何かしゃべるとき、男はどうしても何か意味のあることを言わないといけないと思ってしまうが、女はとりあえず何かしゃべることに意味を見いだしているんだそうである。これは友人の教育心理学者がつい最近言ったことだが、これなんかはもう9割方真実といっていい。

 電車の中でのおばさんたちの会話を聞いていると、実に些細などうでもよいことについて、とりとめもなく、延々と飽きることなくしゃべりつづけている。あんまりまともに聞いていると、つい「いいかげんにしろ」と言いたくなるほどだ。ところが、会社帰りの酔っぱらいのサラリーマンなんかがしゃべっている内容を聞いていると、同じくだらないことにしても、政治のこととか、会社の内部の事情とか、上司の悪口とか、いちおう意味ありげなことばかりで、まかり間違っても、この前家でたこ焼き機を買ったんだけど、水と小麦粉の割合はどのくらいにすればいいんだろうとか、たこ焼きにキャベツを入れるのはほんとうに邪道なんだろうかとかいった類の話題で意味なく盛り上がることはない。そういう輩がいたらいたで、嫌みな奴らだときっと不愉快になるだろうが、そうかといって、会社の会議の延長みたいな話を耳元で延々とやられたら、これも「いいかげんにしろ」とデコピンでもしてやりたくなるだろう。

 最近超売れっ子になってしまった養老孟司さんと、先日お話したおり、校長とか医者とかいった男たちを前に講演をしてもちっとも笑わないからやりにくい。その点オバチャンは何でも笑ってくれてのりがいいから話しやすいと言っていた。ここでも、男は講演と聞くと何か有益な知識なんかを持ち帰らなくてはとつい本気になるのに対して、オバチャンたちはとりあえず有名な養老先生を生で見ることができたというだけで満足してしまって、あとは内容よりも、養老先生の声を気持ちよく聞いているから、反応もいいということになるのだろう。

 さて、どちらが好ましい態度だろうか。ここはやはり女の勝ち。どうでもいいことについて延々としゃべることができるということこそ、人間にしかできないことだからである。「フロ・メシ・ネル」ぐらいは気の利いたイルカなら言えそうな気がするではないか。


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