27 森ノ石松的心境

2004.4


 4月1日はぼくら夫婦の結婚記念日である。神聖な結婚の誓いをよりによって「嘘の日」にすることはないじゃないかと思うかもしれないが、春休みで大安で日曜日というのはその日しかなかったのである。

 4月1日に「今日は結婚記念日なんですよ。」と言っても、まず信用してくれない。今年もお祝いだからというわけでいつも行く(といっても、年に数回です)寿司屋にでかけ、カウンター越しにお兄さん(といっても、40過ぎ)にそう言ってみたが、「あ、そうですか。それはおめでとうございます。」と全然信用していない顔つき。それで、酔っぱらってもいたので、「あのね、信用してないでしょ。でも、ほんとうなんだ。で、何度目かわかる?」とからんだ。「31回めだよ。すごいでしょ。」すると、隣に座っていた老夫婦の奥さんの方が「まだまだね。わたしどもは40年ですよ。」と話かけてきた。

 そんなお年にも見えなかったが、お二人ともなかなか立派な顔立ち。旦那のほうはどう見ても、会社の社長か、銀行の頭取かといった風情。「あしたから日本を離れるので、お寿司を食べにきたんです。」と夫人。聞けば中国へは30回以上も行っているとのこと。あんまり中国ばかりなので奥方が怒って、それでヨーロッパへね、と旦那。

 そんな話をしているうちに、ふと夫人が「この人は昆虫採集ばっかりしてるもんですから。」という。「カミキリムシが専門でね。」「ぼくも中学生の頃、ゴミムシなんかをやってまして。」「いやーそうですか。」といって旦那が名刺を差し出す。肩書きに自然保護協会会長の文字。「え、じゃあ大沢さんって知ってますか?」大沢さんは、学校の同僚で丹沢自然保護協会の理事長である。「よく知ってますよ。」で、すっかり意気投合。

 そのうち何故かお能の話が出て、ぼくはお能も大好きだからここでも意気投合。旦那が差し出したもう1枚の名刺には「横浜能楽連盟会長」とある。この人って一体……って思っているうち、じゃあ私どもはこれでとお二人は店を出て行った。

 しばらくしてふと家内が「Sさんって、ひょっとして県会議員だったSさんじゃない?」という。驚いて改めて名刺を見た。何だ、あの有名なSさんじゃないか。選挙の時になんども聞いて知っている名前なのに、どうして気が付かなかったんだろう。まったく何というカンの鈍さ。申し訳ないことである。きっとSさんは森の石松の心境だったに違いない。


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