24 言っちゃいけない「ありがとう」

2004.3


 鉄道好きの長男が自分の子どもに「由宇」という名前をつけた。全国を旅しているときに、車窓からの風景がもっとも美しく、ここを子どもの第二のふるさとにしようと考えたからだという。

 その話を聞いて、家内の父つまり由宇君にとってはヒイジイチャンがどうしても行って写真を撮ってきたいと言いだした。けれども様々な病気のある身とて、家内の母とぼくら夫婦が同行することになった。

 先日の3月23日、広島に向かった。広島でレンタカーを借りて、その日のうちに由宇町をひととおり見て回った。春霞にかすんではいたが、銭壺山からは遠く四国までも見えた。穏やかな瀬戸内海の風景は、確かに心休まるふるさとだった。

 翌日は、みんな疲れてしまい早めに帰ろうということで、広島のホテルを出た。原爆ドームの近くまできたとき、ヒイジイチャンがどうしてもドームの写真を撮りたいと言いだした。駐車場もあったが、ちょっとだけならということで、ドームに一番近いあたりの道路に駐車した。ところが、ヒイジイチャンはこと写真となると異様に熱心になって撮影が延々とつづく。それでも15分ほどだったのだが、ぼくは何だか路駐の車が気になって戻ってみた。

 すると、あろうことか、ぼくの車の前に赤いランプをちかちかさせてパトカーがとまっているではないか。慌てて駆けつける。「これあんたの車?」と警官がすごい剣幕。道路にはすでにチョークで「この車はレッカー移動しました」と書かれている。まずい、こんなところでレッカー移動なんてされたら、帰れなくなってしまう。ぼくはもうありとあらゆる言葉を駆使して謝りまくる。足の悪いジイサンがおろせと言うものでとか、写真をなかなかやめなくてとか、遠い横浜から来たんですとか、もう引き出し全開だ。

 年上の警官は他人のことも考えろとか、あんたの言っていることは身勝手だとか、激しい口調で説教を続けながらも、しぶしぶ車の窓に張ったステッカーをはがしてくれた。ぼくはもう1年分ぐらいのお詫びの言葉のオンパレード。

 若い警官も言い放題ぼくを罵倒して、ようやく無罪放免、パトカーのほうに戻りかけた。助かったと思って、思わず「ありがとうございました。」と言った。すると若い警官がキッと振り返り、「あんたね、ありがとうとか、そういう問題じゃないでしょ。反省しなさいよ。身勝手なんだよ、あんたは。」と怒り再燃。ぼくは、更に謝り続けるはめになったのだった。


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