21 トイレは美術館

2004.3


 ぼくの生まれ育った家は、実に複雑な構造をしていて、祖父が自分で作った部屋やら、親戚の大工さんが作った部屋やらが、短い廊下のような部分でつながっていた。大工さんが作った部屋は、父と母の寝室になっていて、その部屋には付属のトイレもあった。いっぽう、ぼくは物心ついたころから両親とは別の部屋で祖父母に挟まれて寝ていた。その部屋のそばにも、もうひとつトイレがあった。

 要するに我が家には二つのトイレがあったのだ。もちろん昔のこととてどちらも和式トイレだったのだが、ぼくは大きい方の用を足すときは何故か両親の部屋のトイレのほうが落ち着くのでそちらをもっぱら使っていた。父はヘビースモカーだったので、そのトイレもやたらタバコくさかったが、そのトイレのすぐそばの本棚に、いつの頃からか20冊ほどの小型の西洋美術全集が置かれるようになった。父は趣味で油絵を描いたので、参考にと買ったのだろう。ぼくは、トイレに入るたびにその全集から1冊を抜き出し、ページをめくりながら用を足すのが習慣になった。

 和式のトイレに長く座っているなんてことは今のぼくにはとうてい無理だが、そのころは何でもなかったようで、用が済んでも座ったまま美術全集を眺めていたものだ。そのようにしてゴッホもシャガールもデュフィもユトリロも知ったのだった。中でもデュフィの洒落た絵に心をひかれ、高校3年の頃にわざわざ銀座の日動画廊にデュフィ展を見にいったりしたものだ。あの薄暗いタバコ臭いトイレは、ぼくにとっては美術に目を開かせてくれた小さな美術館だったわけだ。

 何がきっかけになるか分からない。息子が中学生になったころ、ちっとも本を読まないので、居間にさりげなく日本文学全集を置いてみた。自分が国語教師でも我が子に読書を勧める有効な手段としてはそれぐらいしか思いつかなかった。ある日、長男がその1冊を抜き取った。表紙をちらっとみると芥川龍之介とある。そうかとうとう読む気になったかと思っていると、息子はその本を持って食器棚の側面に立ち、次にその本を頭の上に乗せ、そして本はそのままにその本の下の体を抜き、鉛筆でその本の下の食器棚の側面に線を引いた。何のことはない、自分の背を測ったのだ。がっくりきた。うまくいかないものである。

 それから数年後、彼の口から国文科に進みたいという言葉を聞くとは、その時は夢にも思わなかった。やっぱり子どもは分からない。


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