19 パンの奇跡

2004.2


 その人に出会わなければ今の自分はないと思えるほどの決定的な影響力をもった人というのが、人生のどこかに必ずいるものである。ぼくの場合もそういう人が何人かいるが、その中でも特に影響力の大きかったのが、ヘルムート・ウルフ神父である。ぼくをカトリックの信仰へ導いたのも、教職への道を指し示したのもウルフ神父だった。そのウルフ神父が先日2月11日、亡くなった。満90歳だった。

 2年前からタウン誌の「かまくら春秋」に「栄光学園物語」という文章を連載してきたが、その中でも何度もウルフ神父は登場した。今度ウルフ神父のお見舞いにいくから、その登場する場面を朗読してさしあげてもいいかと問い合わせてきた先輩もいる。もちろんどうぞと答えながら、連載が完結して単行本が出版されたら、その本を持ってウルフ神父を訪ねようと思っていた。その単行本も3月の末には出版の予定というところまでこぎ着けた矢先の訃報だった。

 告別式が2月13日、四谷のイグナチオ教会で行われた。午後1時半から始まった葬儀ミサと告別式には多くの人が参列した。正確には分からないが、300名ほどはいただろうか。その大部分はウルフ神父の栄光学園時代の教え子たちだった。平日の昼間だというのに、働き盛りの男たちが集まった。前日の上石神井で行われ通夜にどのくらい集まったのかは知らないが、昼間の告別式にこれだけ集まるというのも、やはりウルフ神父の影響力の大きさ故に違いなかった。

 円形をしたイグナチオ教会の聖堂で、静かに進行するミサに参列しながら、ふと、「パンの奇跡」のことを思い出した。

 イエスを慕ってついてくる群衆に、パンを与えようにもそのパンが5つしかない。しかしイエスが、賛美の祈りを唱えてパンを裂くと、群衆のすべてが満腹し、さらに残ったパンは12の篭に一杯になった。食べた人の数は女と子どもを別にして男が5000人だった、とマタイ福音書は伝えている。これが「パンの奇跡」である。

 今まではあまりぴんとこない奇跡の話だった。けれども、ここに集まった教え子たちこそが、「何倍にも増えたパン」そのものではないのか、ウルフ神父は今、ここに集まった教え子たちの中に生き生きと生き始めている、それが「パンの奇跡」の本当の意味だったのではないか、そんなことをふと思った。聖書を読むこともまれになっているぼくへの、それはウルフ神父からのメッセージのようにも思えた。


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