18 バージンロード

2004.2


 「おにいちゃん、あれは違うよ。」と妹からの電話。先日掲載した「その一言が言いたくて」について。ときどき妹はチェックをいれてくる。「よござんすは、あのとき言ったんじゃないのよ。」

 信じられない思いだった。けれども、それならぼくにそのことばの記憶がないのもうなずける。コチコチになっていたからではないのだ。

 あれはね、結婚式の当日のことなのよ、と妹は続ける。妹とその亭主は、四谷にある上智大学の同級生だった関係上、結婚式も大学構内のクルトルハイムという建物のなかにある小さな聖堂で行った。新潟は柏崎の出身の男と、横浜の下町のペンキ屋の娘の結婚式にしては、場違いなほどオシャレな所だった。ぼくは今でこそ、カトリック信者の末席を汚しているが、結婚当時は信者ではなかったので、結婚式は神式だった。だから、キリスト教式の結婚式なんて我が家ではもちろん初めてのことだった。

 キリスト教式ともなれば、花嫁の父というものは、娘と腕を組んでバージンロードとやらを歩かねばならない。照れ屋の父にとっては、「おとうさん、娘さんをぼくにください。」にもまして、避けて通りたい関門だったに違いない。

 司式は、二人が在学中さんざんお世話になった赤波江神父。式がいよいよ始まる。聖堂の中にはけっこう大勢の人がすでに集まり、花嫁の登場を待つばかりとなった。神父と花婿がまず聖堂に入って、父と花嫁を迎えるという段取り。赤波江神父は、最後の確認のために、その段取りを説明した。よろしいですか、娘さんと腕を組んでゆっくりと歩いてくださいね、なんて念を押したのだろう。ぼくはすでに聖堂内に着席していてその場にはいなかったから、もとろんその会話は聞いていない。

 おとうさんったらさあ、もう緊張しちゃって、体なんてもうコチコチなんてもんじゃなくって、まるでロボットみたいになっちゃって。それでね、アカバエ先生が、よろしいですねって言ったら、突然「よござんす」って言っちゃったのよ。なるべく丁寧に言わなきゃと思ったんじゃないの、「よろしゅうございます」とかね、それが、「よござんす」になっちゃった。もう恥ずかしくって。だって、クルトルハイムでアカバエ先生に「よござんす」だよ。

 ヤクザの賭場じゃあるまいしなあ、アカバエ先生もびっくりしたろうなあ。そう言いながら、妹と腕を組んでロボット状態でバージンロードを歩いてくる父の生真面目な顔を懐かしく思い出していた。


Home | Index | Back | Next