16 映像と音楽

2004.1


 中学1年生の教科書で、被爆して全滅した広島二中の子供たちの碑があることを知って、昨年の秋、その碑のビデオ撮影のために広島に行ってきた。原爆ドーム周辺なども丹念に撮ったりしたものだから、約1時間ほどのビデオになった。それをこの冬休み、編集して30分弱の「作品」にまとめてみた。こんなことができるのも、我が愛するマッキントッシュのコンピューターがあるからである。ただでついている「iMovie」と「iDVD」というソフトで、いとも簡単にそれなりの映像作品が1日で出来上がった。さっそく3学期の初めの授業で生徒に見せたのだが、生徒の反応はともかく、自分で感動してしまった。

 作品が素晴らしかったというのではない。そうではなくて、映像と音楽が重なったときの、何とも言えないエモーションに驚いたからだ。ちなみにエモーションというのは、「(心身の動揺を伴うような)強い感情、感激、感動」という意味だ。映像は、音楽を得ることでまるで違ったものに見える。例えば、今回の「映画」では、冒頭シーンは広島駅に向かう新幹線からの車窓風景であるが、そこにエンヤの「A Day Without Rain」を重ねてみた。初めは車内のアナウンスやら、親子の会話が聞こえてくる。そのうち、その声に重なって音楽が流れ始める。しばらくすると、生の音は完全に消え、音楽だけが流れ、広島の街の風景が後ろへ後ろへと流れていく。やがて、列車は広島駅に滑るように入り、止まる。音楽は小さくなり、発車のベルの音が聞こえる。

 これだけで、まるで本物の「映画」みたいに感じるのである。結局、エンヤがいいということになるのだが、かといって、エンヤだけでは、このシーンを見た後では何か物足りないのだ。

 それまでそれほど人気のなかった曲が、映画音楽として使われたことで爆発的に有名になるということはよくあることだ。ぼくにとっては、マーラーの交響曲第5番のアダージョは、ヴィスコンティの「ベニスに死す」の映像を思い出さずに聞くことは不可能なことだ。「アダージョ」はそれだけでも名曲ではあるのだろうが、あの映画によってその深い味わいがよく理解されるようになったのではなかったか。

 そういう音楽の聴き方は、たぶん不純だというそしりを受けるだろう。けれども、今回の編集作業を通して、自分がどういうふうな音楽の聴き方が好きかがよくわかったような気がしたのも事実なのである。


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