14 賢治の声

2004.1


 テレビで見たのだが、豪華客船「飛鳥」というのがあるらしい。いろいろなツアーを企画しては客を集めているようだが、今回は南極ツアーだという。3ヶ月ほどの旅程で代金は300万円から1400万円ぐらい。客の平均年齢は70歳だとかいっていた。お金持ちのお年寄りを満載した「飛鳥」は新春の横浜港をきらびやかに旅立っていった。

 金というのはあるところにはあるものである。何ヶ月かの船旅に数百万円をポンと出せるお年寄りが、日本にはゴマンといるわけである。毎年このツアーに参加しているといって満足そうに笑う老夫婦、しわくちゃの顔をおしろいで塗りたくったおばあさん。まあ、自分で稼いだ金をどのように使おうとそれはご当人の勝手だが、どうもそういう光景は美しくない。

 1万円あれば、学校へ3年間通えるのに、その金がないから、学校へも行けない子供たちがあふれている国もある、なんてことを、ここへ持ち出してもどうしようもないことは分かっている。それこそ野暮というものだろう。けれども、300万円でもいけるのに、1400万円も出す人がいるということは、金をもてあまして、捨てたがっているとしか思えない。捨てるしかないなら、誰かに分けてやればいいじゃないかってどうしても思うわけである。

 捨ててるわけじゃありません。1400万円出せばそれなりの豪華な旅ができるのです、というだろう。もちろんそうに違いない。だけど100万削ってその分誰かに分けてあげてもいいんじゃないの、1300万円なら結構いい旅できるんじゃないの、なんていいたくもなる。しかし、どっちみちそんなタワゴトに耳を傾けるような人はいるはずもない。心は南極へむかって高鳴っているのだから。自分の楽しい航海に胸躍らせているのだから。

 考えてみれば、結局のところぼく自身も同じ穴のムジナである。レストランで食事をするたびに、この食事代を半分にして、あとは恵まれない人に寄付しようなんて思ったこともない。この冬ホームレスの人たちが寒さに凍えていようと、そんなことは忘れて暖かい鍋を囲んでいる。人間はそんふうにしか生きられないのだ、だからそんなこといちいち考えることじたい馬鹿げている、と、どこかで自分を説得しているのだろう。

 そういう時、「みんなが幸せにならない限り、わたしの幸せはない。」と言った宮澤賢治の声がどこかで聞こえる。この声にどう答えればいいのか、ぼくには、まだ、分からない。


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