12 見た目じゃないよ

2004.1


 長嶋は巨人の監督在任中は、決して老眼鏡をかけなかった。だから、細かいところはよく見えていなかったんじゃないか、でも、こんどの長嶋ジャパンということになると、国の威信をかけているから、そんなかっこつけてる場合じゃないということだろうか、ちゃんと老眼鏡をかけている。それで、ほーよく見えますねえ、なんて言ってるそうだ、なんていう話を聞いた。

 年をとることをエイジングといい、それに抵抗することをアンチエイジングというそうだ。今は、そのアンチエイジングというヤツがおおはやりだという。何とかして、若く見られたい、老けて見られたくないという心理は、だれにでもあるものだけれど、日本中猫も杓子もアンチエイジングに向かって突っ走るというのもいかがなものであろうか。「若い=美しい」という公式を、美容業界、化粧品業界、整形外科業界、カツラ業界などがぐるになって日本中にばらまき、広めているに違いない。それに荷担しているのが放送業界、広告業界であることはいうまでもない。

 ひところは、人間は見た目じゃないというのが、人間を理解するときの一般的な基準だった。それが、「人間は見た目よ。」なんて公言する芸能人があらわれ、最初は、思いきったことをいうもんだということで受けていたのに、今では何となくそれが世間の一般常識みたいになってしまったような気がする。恐ろしいものである。

 「見た目」がすべてなら、老人は若者にどうしたって勝てない。美しい老人というのは「見た目」だけでそう言われるわけではない。モチモチ、プリプリの肌のほうが、シワだらけ、シミだらけでしぼんだ風船みたいな肌より美しいのはどうしようもない。それを否定するには、よほどの変わった趣味を持たなくてはならない。もっとも、「ハゲは美しい」「ハゲはかっこいい」というキャンペーンをぼくは自分なりに積極的に展開しているが(情けないことに中学生相手だが)、自分自身まだこの公式を完全に信じ切れない憾みがある。

 それにしても、昔の日本人はアンチエイジングなどに狂奔することはなかったのではなかろうか。芭蕉などは、早くから「芭蕉翁」などと称していたようだが、芭蕉は51歳で亡くなっているのである。遠藤周作なども、それを真似したのか、「狐狸庵」と称してわざと老人の格好をしていたものだ。

 人間は見た目じゃない。老人は若者より美しい。ハゲはかっこいい。これを、今年一年の標語としよう。


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