10 同級生

2003.12


 勤め先の学校の図書館で、図書委員を中心にして発行されている雑誌に、今年生誕100年を迎えた文化人とその記念行事をまとめた記事が載っていた。その名前のラインナップを見て、実に不思議な気分になった。

 小林多喜二、小津安二郎、棟方志功、山本周五郎、滝口修造、草野心平……。この人たちが皆、明治36年(1903年)の生まれ、つまり同級生だというのだ。(厳密にいえば、学年は違うこともありうるが)棟方志功や滝口修造などは、現代人という感じがどうしてもするし、一方、小津安二郎や山本周五郎となると、かなり昔の人、まして小林多喜二ともなれば、文学史上の人物でしかなく、小津安二郎と同級生といわれたってピンとこない。

 小林多喜二なんかは、昭和8年、30歳の時に官憲の拷問にあって死亡しているので、ずっと昔から伝説的な人物になってしまっているわけだが、その小林多喜二より8歳も年長の日本画家、小倉遊亀などになると、105歳まで生きて現役だった。亡くなったのは2000年。あと1年生きながらえれば、19世紀に生まれて、21世紀になくなるという偉業を成し遂げたであろうに、さぞ無念だったろう。

 早死にして、そうそうに歴史上の人物になるか、長生きして、いつまでも現代人でありつづけるか、どちらが幸福かは知らないが、寿命によって、人間というものはずいぶんと違った存在になるものだとつくづく思う。

 美空ひばりは、ぼくが小学生の頃にはもう映画に出ていたから、亡くなった時には、てっきり相当な歳だと思っていたが、実際には52歳で亡くなっているわけで、それならもうぼくは彼女より長生きしていることになる。何だか実感のない話である。

 実感がないといえば、ぼくの祖母は97歳で死んだが、宮沢賢治より2歳下である。祖母が亡くなって数年後に宮沢賢治生誕100年で結構大騒ぎをしたことがあり、それで、ということは年齢が近いのかなと気づいたのだ。調べてみれば、祖母が明治31年、宮沢賢治は明治29年の生まれ。更に先ほど調べてみたら、賢治の最愛の妹、あの「無声慟哭」に歌われた宮沢トシは、明治31年の生まれ。何と祖母と同級生だった。これにはびっくりである。

 どうしてびっくりするのか、よく分からないが、人間が生きた時間というものの、あるいは人間の存在そのものの不思議さが、ここにはあるような気がするのだ。そのことが、どこかでぼくをびっくりさせているらしい。


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