98 親しみ

2003.9


 久しぶりに大学時代の友人とゆっくりと飲む機会に恵まれた。

 空前絶後の大学紛争の中で、ただでさえ少ない国文科のクラスメートはバラバラになってしまい、結局変わらぬ友人としてつき合い続けてきたのはたったの二人である。その二人とも会うことは稀になってしまった。それでも、辛いことの多かった大学時代をともに過ごした数少ない友人のこととて、何年を隔てて会っても、その親しみになんの変化もないのは不思議である。

 その一人と、酒を飲んでしゃべっていると、ああこいつは昔とちっとも変わらないなあ、とシミジミとした気分になる。しゃべり方、飲み方食い方、笑い方から嘆き方まで、三十年以上の歳月を経ているというのに、よくもこう変わらないものだと感心してしまう。今や大学教授なのに、貧乏学生だったころと寸分の違いもない。いや、腹のでっぱりや、頬や目の周りの皮膚のたるみは如何ともしがたいのは事実だ。けれども、それ以外、何の変化もない。

 そんな感慨に浸っていると、彼もそんなことを考えていたのか、「君もまあ変わらないもんだねえ。そのしゃべり方といい、考え方といい、昔とまったく同じじゃないの。変わったといえば髪の毛が薄くなったくらいかなあ。」と言う。

 これは心外である。大学を出て、公立学校に十二年、私立学校に二十年の、輝かしいキャリアである。人に言えない苦労もし、教師故の屈辱も辛酸も舐め尽くした。それが、大学時代と変わっていないと言われては、いったい何のための苦労だったのかと舌を噛みたくなる。

 しかし、それなら彼はどうなのか。大学教授なら、ぼく以上に苦労も多かったろう。舐めた辛酸はぼくの比ではあるまい。それなのに、その人間性にはちっとも変化が見られないのだ。ぼくが変わっていないのも、むしろ当然ではないか。

 要するにだな、人間というのは二十までで決まってしまうということなんだよ。あとはちっとも変わりゃしないんだ。だから、中学高校の教育ってのは大事なんだ。そう彼は言った。

 そうだなあ、後は馬齢を重ねるのみか。人生っていうのは、つまらないもんだなあ。そんな見当はずれの相づちをうちながら、いいようのない親しみを彼に感じていた。

 人間が人間に対して感じる親しみの感情が、このごろやけに身に染みて、それがどうにも不思議でならない。人生はつまらないけれど、この親しみの感情があるかぎり、生きる価値があるような気もするのだが。


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