94 教師の夏休み

2003.8


 学校の先生は夏休みがあるからいいね、とよく言われてきた。一般の企業が、夏休みを一週間もとれたなんて大騒ぎをしていた頃、教師というのは一ヶ月も休んでいたのだから、当然といえばいえる。もちろん、すべての教師が一ヶ月もまるまる休めたわけでもなく、部活の顧問でもしていれば、ほとんど出勤という人も多かったのだが、ぼくに関して言えば、都立高校にいた十二年間、平均すると三十日ぐらいはまるまるお休みだった。

 しかしそんなに休みが多くても、海外旅行どころか近場の国内旅行にすらめったに出かけたことがないのは、生来の出不精ということもあるが、早い話、お金がなかったからである。金と暇はなかなか両立しないもので、教師というのはやはり薄給なのである。給料は安くても、休みが多いから自由な時間を持てる、自分なりに研究も続けていけるというのが、教師という職業の最大の魅力で、だからこそぼくも教師になったのだ。もちろんそれだけの理由しかなかったわけではないけれど、理由の中ではやはり大きなウエイトをしめていた。

 採用試験は神奈川と東京の両方受かったのだが、東京を選んだ最大の理由は、研究日があるということだった。研究日とは、日曜日以外にもう一日休める日で、もちろんその日はあくまで「研究日」なのだから研究をするということになっていたが、だからといって、その研究計画を出せとか、レポートを出せとか、そんな野暮なことは一切言われなかった。まさに自由研究だった。

 ところが昨今の都立高校ではそんなのどかなことを言っていられなくなったという。昔の同僚から聞いた話だが、どうもとんでもないことになっているらしい。研究日なんてとっくに廃止。夏休みだって、用がなくてもほとんど毎日出勤だという。そして様々な「研修」があるらしい。

 ばかな話である。生徒がいない学校へどうして出勤しなければならないのか。生徒のいない学校でぶらぶらしていて、何の得るところがあるのか。教師は日々勉強である。それも本当の意味での自由研究である。それを保証するのが夏休みではないか。強制される「自由研究」では、小学生なみだ。漫然と本を読んだって、旅をしたって、遊んでいたって、それは教師の経験として、いつか生徒に還元されてゆくのだ。教師の仕事は自分の教科をただ手際よく教えていけばそれでいいというものではないのだ。そんな単純なことも役人には分かっていない。


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