93 サナギ

2003.8


 蝶が幼虫から成虫に変わる過程で、サナギという段階を経るというのは、考えてみれば不思議なことだ。あんなブヨブヨした体で葉っぱの上をはいずり回るだけの芋虫が、まるで正反対のスラリとしたボディに華麗な羽まで持って、海の彼方へだって飛んでいける蝶になるなんて、考えれば考えるほど不思議な気分になる。もっとも、この手のことは考えるべきことではなく、感心していればいいのだろうが、それにしても、どうしてこんな手の込んだプロセスを必要としているのだろうかと考えたくなる。

 そのいわゆる変態の中でも特に心を引かれるのがサナギである。蝶の幼虫というのは、卵から生まれたときは小さな芋虫なのだが、それが脱皮を繰り返して大きくなる。そして何回かの脱皮の後、突然固まってしまってサナギになる。サナギになって動かなくなる。しばらくたつと、そのサナギから、以前とはまったく違った生き物が出現する。芋虫にはその片鱗すらなかった羽が生えている。共通点は足が六本ということぐらい。あとはすっかり別物だ。すごいとしか言いようがない。

 聞くところによると、サナギが動かない間、その中で何が起きているのかというと、芋虫の組織が一度解体されて、ドロドロになり、そこから蝶へと再組織化されるという。その辺の詳しいことは調べればすぐに分かるのだが、今はあえてその「聞くところ」を信じたい。

 外側からはまったく動いているとは見えないのに、その内側では劇的な変化が起きている。変化というような生やさしいものではない。ありようが根本から変化してしまうような変化である。生き方が変わるのである。ウニョウニョはいずり回るという生き方から、パタパタ羽ばたく生き方へと変わるのである。葉っぱをバリバリ食うという生き方から、花の蜜をちょっとだけ吸うという生き方へと変わるのである。これに比べたら、三〇年間吸っていた煙草を止めたとか、車通勤をやめて電車通勤にしたとか、浮気をやめたとか、そんなのは変化ですらない。

 これと匹敵するような変化を人間がするとしたら、さて、どういうことになるのだろうか。外見ではまず無理だ。一〇〇キロあった体重を五〇キロに減量したとしても、芋虫の逆脱皮ぐらいの価値しかない。

 まずは、サナギにならねばならない。じっと動かず、時期を待つ。「自分」がドロドロに溶けてなくなるのを待つしかない。そのサナギから、いったいどんな人間が出てくるのだろうか。


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