90 恐怖・タコの卵

2003.8


 兼好は「友とするに悪き者、七つあり」として、その三番目に「病なく、身強き人」を挙げている。病気知らずの体育会系の人間は、遊び友達にはいいかもしれないが、しみじみ人生を語り合える友には向かないということだろう。病気の苦しみは、その病気を患った人でないと分からない。病気というような深刻なものでなくても、分からない人には分からないことがある。

 先日、中1の生徒を連れて「海のキャンプ」に三浦に出かけた。泳げないぼくは、相変わらずボートからの監視役。生徒はいくつかのグループに分かれて、それぞれに指導の教師がつく。

 ボートの近くにシュノーケリングのグループがやって来た。つきっきりで指導しているのは、T先生と、新任のK先生。T先生はもぐりの名人、生徒を水面に待たしておいて、足ひれをシャチみたいに水面に躍らせて、もぐってゆく。なかなかカッコイイ。すぐに浮かんで来て、「タコの卵があったよ。みんな見てごらん。」と得体のしれないぶよぶよの物体を手にかざした。

 タコの卵というのは、何といったらよいだろうか、ヒキガエルの卵を百倍にしたくらいの細長い透明なビニールの筒のような寒天質のカタマリである。その筒が十本ぐらい束になっている。それぞれの透明な筒は数センチおきにくびれていて、そのくびれとくびれの間にタコの赤ちゃんがいるらしい。これを「おもしろい」と感じるか、「気持ち悪い」と感じるかは、それこそ人それぞれである。

 T先生は明るい声で、「じゃあ、これおもしろいから、岸で待ってる人にも見せてあげようね。K先生お願いします。」と言って、そのぶよぶよのカタマリを、K先生に手渡した。

 冗談じゃないよ、K先生は生き物が大嫌いのはずだ。どうするんだろうと、ぼくは息をのんだ。K先生は「はい」と短くこたえて、そのカタマリを片手に持ち、近くの岸まで泳いでいって生徒に手渡した。

 ぼくはびっくりしてボートを近づけ「タコの卵なんて、あんた平気なの?」と聞いた。「平気じゃないっすよ!」声も震えている。「じゃ、嫌だっていえばいいのに。」「そんなこと言えませんよ!」

 なるほど、それもそうだ。K先生にしてみれば、ずっと先輩のT先生に「嫌です。そんなもの持てません。」とは言えないだろう。後輩は辛い。

 それにしても、根性あるなあ、K先生は、と思っていると、またT先生の明るい声が聞こえた。「あれえ、こんどはクラゲだよ。K先生、お願いしま〜す。」


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