87 カッとなるタチ

2003.7


 突然腹がたって席を立ちたくなることがある。すぐにかっとなるタチらしい。祖父がそうだった。

 ぼくが幼い頃は、夏祭りが盛大に行われていた。ぼくの生まれ育った町は、伊勢佐木町より西の運河に囲まれた一帯。いわゆる吉田新田と呼ばれる埋め立て地の一角で、日枝町、南吉田町、山王町、吉野町、新川町、二葉町、高砂町、これに川を隔てた睦町を加えて八ヶ町といって、その町のお祭りが「お三の宮」の祭礼だった。この神社は正式には「日枝神社」だが、江戸時代の埋め立て工事のときに人柱となった「お三」という女性を祭っていることから、「お三の宮」、通常は「おさんさま」と呼ばれている由緒正しい神社である。ぼくの町は南吉田町だが、この町は「お三の宮商店街」の町でもあった。

 だから祭りのときは、この南吉田町が中心になる。この商店街にずらっと夜店が並ぶのである。神社から我が家までは100メートル以上も離れているが、その神社から我が家の前まで夜店が途切れることなく続いていた時期もあった。その途中に町内会館があって、そこがいわば祭りを統括する事務所みたいな所(何というんだっけ)で、町内会の面々が集まって酒など飲んで結構盛り上がっていたわけだ。

 祖父が何の役員をしていたか知らないが、とにかく祭りとなると、そこへ出かけていくのだが、毎年決まって行ったかと思うとすぐにぷんぷん怒って帰ってきてしまう。職人にしては珍しくお酒を一滴も飲めない人だったから、飲んべえとは話が会わなかったのだろうが、とにかく喧嘩をして席を立ってきてしまうのだ。

 特に、町内の「犬猫病院」の院長と仲が悪かった。「Wの野郎が、○○なんていいやがった。」とか言って戻ってくる。家の者は、「ほらまた喧嘩してきた。」といって取り合わないのだが、ある年、あんまり祖父が怒りくるっているのを見て、若い職人たちまでかっとなって、「ウチの親方に何しやがるんだ!」とばかり怒鳴り込んでいったことがある。現場を見てないからわからないが、院長もびびったことだろう。まるでヤクザの出入りである。

 祖母などは、「オジイチャンは、言いたいことも言えないでいて、家に帰ってきて文句を言うんだから、だらしがないよ。」なんて冷たいことを言っていたものだが、ぼくにもちょっとそういうところがある。それで、家内に「私に言わないで、面と向かって言ったら?」なんてよく言われてしまう。血は争えないものである。


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