86 目黒G園の惨劇

2003.7


 思いがけない事故というものがあるものである。

 二〇年以上も前、勤務していた都立青山高校の教師の歓送迎会だかが、目黒G園で行われたときのことだ。パーティも終わり、帰ろうかと思っていると、新橋に住んでいるT先生が、「山本さん、ぼくは車で来たから、新橋まで乗せていってあげるよ。」と声をかけてくれた。彼は車を玄関前まで移動してくるから待っててね、と言って駐車場に向かった。その間にトイレに行って、さてそろそろ車が来るころかな玄関の方をみると、T先生の車はもう走り出している。てっきりぼくのことを忘れているんだと思って、「待って!」と叫びながら、玄関ロビーを駆け抜けた。

 惨劇はそのとき起きた。走り出して数秒後、玄関から外へまさに出ようとしたとき、突然猛烈な衝撃を体に感じて、ぼくの体は大きく跳ねとばされた。空気中に見えない壁が突如として出現し、その見えない壁がグワーンとでもいうように一瞬向こうへ反ったかと思うと、その反動でぼくをはじきとばしたようだった。ぼくはよろよろとして倒れそうになるのを辛うじてこらえた。

 その時、玄関脇の受付の二人の女のどちらかがクスッと笑って、「またやった。」と言ったのを、はっきりと耳にした。

 その声をよろける体で聞きながら、自分に起きた事態をはじめて認識した。玄関の自動ドアーのガラスに突っ込んだのだ。走っていたので自動ドアーが開く前にぶつかってしまったというわけだ。

 目の上あたりを強打していたが、気は確かだったので、とにかくT先生の車に乗り込んだ。T先生は、何を慌てたの、ただ車の向きを変えただけだよと言っていたが、それよりなにより、さっきぼくが耳にした「またやった。」という女の言葉が、だんだん頭の中でボリュームを上げて聞こえてくるのだった。

 「大丈夫ですか?」と慌てて駆け寄り、よろける体をやさしく支えるのが従業員のやるべきことではないか。それを「またやった」とは何事か。今までにもそういう客がいたということか。それならガラスドアーにぶつからないような工夫をすべきじゃないか。新橋までそんなことをT先生に向かってぶつぶつ言い続けたように思う。

 翌日から、ぼくの顔は見るも無惨な有様になった。まるで喧嘩で殴られたみたいに目の周りが黒紫色に変色してしまった顔を鏡で見ては、目黒G園(名称をあかしてやりたいくらいだが)の受付の女をぼくはひたすら呪い続けたのであった。


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