83 はい、ポーズ!

2003.6


 風呂から出て、パンツ一つになると、なぜだかポーズをとりたくなる。ボディービルの、あのポーズだ。

 おなかの前で手を組んで輪を作ったり、両手でWやSの形を作ったりしながら、突き出た腹を思い切りへこませると、けっこうイケテル形になっている気がして、家内に見せたりする。家内はそういう筋肉系の男は大嫌いだといって毎回根気よく本気で怒る。仕方ないから、風呂場の鏡に向かってポーズをとったりするのだが、体はそれなりに満足いく姿でも、鏡に映った我がバカ面にはやはり鼻白む思いで、そのときやっと、家内の心底呆れたような表情のわけも理解するのだが、それもすぐに忘れてしまう。そして相変わらず、ポーズをとって怒られたり、鏡の前でポーズをとって鼻白んだりしている。

 三島由紀夫がひ弱な体にコンプレックスを感じてボディービルに励み、その精悍な引き締まった腹を日本刀で掻ききったというのは有名な事件だが、その壮絶な死の数年前に、ぼくは何度も三島を間近に見ている。大学生のころ、ぼくは鉄仙会という観世流の能の会の学生会員だったのだが、その例会に必ず三島が来ていたのだ。能舞台の正面の一番前の中央の席にいつも坐って、あのぎょろりとした目で舞台を食い入るように見つめていた姿は、今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。

 その三島と、ある日、会場のトイレの入り口ですれ違ったことがある。おそらくは夏のことで、ぼくは半袖のシャツを着ていたのだと思うが、すれ違った瞬間、ぼくの腕の毛がザワッと逆立つのを感じた。三島の鍛え抜いた体は、電磁波を発していたのか、静電気を帯びていたのか、まるで見えないバリアーを身にまとっているかのようだった。

 三島のようになりたいなどと思ったわけではないし、まして切腹して首を落とされるなんて、ぼくの理解を遙かに絶した出来事だったが、なぜだかボディービルへの憧れのようなものだけが残ってしまった。

 憧れているなら、せめてみっともなく出っ張った腹だけでも、ほんとに引っ込めるぐらいの努力をすべきなのに、それもできず、ただかりそめのポーズをとって悦に入る。なんとも情けない話である。挙げ句の果てに、酔っぱらうと決まって「おれはいつか金粉ショーをやってみたい。」などとわめき、周囲の失笑をかい、気味悪がられる始末。

 しかし三島由紀夫も、金粉ショーみたいな俗悪なものに憧れるようだったら、腹など切る気にはならなかったのではなかろうか。


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