82 この一筋につながらない

2003.6


 夢は何ですかというアンケートに、そのときは気分が妙にブルーだったのか、「早く定年になって自由の身になること」と答えてしまった。いくら考えても、それしか思いつかなかったのだ。

 「自由の身」なんて言えば聞こえはいいが、「何にもやることがない」という事態と隣り合わせである。いくら定年になって仕事から解放されたとしても、何にもやることが見つからなかったら、結構つらいだろうし、そうであればそんなのは夢の資格がない。もっとも、何にもやることがないという事態を楽しめるような性格ならそれはそれでいいのだが、あいにくぼくはそういう性格でもない。

 やりたいことがないわけではない。むしろやりたいことだらけだ。けれども、その「だらけ」の中からひとつを選んで、定年後の人生をそれに賭けるというようなことはぼくには到底できそうもないということなのだ。

 先日テレビに、カブトガニ博士とかいう人が出てきた。幼いころ父が採ってきてくれたカブトガニに魅せられ、そのままカブトガニの生態研究や飼育に生涯をかけてしまったという。最初見たとき、まるでドイツ軍のヘルメットみたいだなあ、かっこいいなあと惚れました。ほらまるでカブトが歩いているみたいじゃないですか。そういって今でも目を輝かせる。こういう人の話を聞いていると、ほんとうに不思議でならなくなる。どうして長い一生の間、カブトガニ以上に魅力的なものと出会わなかったのだろうかと思うからだ。

 たぶん、精神の構造が違うのだろう。芭蕉は「無芸無能にして、只、この一筋につながる」といって俳諧の道に邁進したけれど、「無芸無能」は、芭蕉の現実ではなく、決意だったはずだ。「この一筋」以外のすべてを断念する決意。そしてそのような決意ほどぼくに縁遠いものはない。「多芸多能」であるわけではないが、「多事多夢」で、どの筋につながったらいいのかいまだに分からない。

 津軽三味線を弾きたい、江差追分を歌いたい、謡を習いたい、書道も習いたい、そういうことは時として本気で思うのだが、おそらく本格的に取り組むことはないだろう。最大の夢といえる津軽三味線にしても、その厳しい稽古に費やすおそらくは膨大な時間が、ほかのことをする時間を奪うことに耐えられなくなるに決まっているからだ。かくして、夢だらけの人間になり、挙げ句、夢を問われてひとつの夢すら思い浮かばないはめにおちいるというわけだ。


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