77 いれもの

2003.5


 中に何を入れようというあてもないのに、「いれもの」に心をひかれ、ついためこんでしまう。

 スーパーのレジのすぐそばに陳列されているフランス製のドロップの缶がカワイイので、思わず買ってしまったりして、さて何を入れておこうかと考えながらその缶のイチゴの絵柄を見ていると、やっぱりレモンの缶も欲しいなあなんて思って、何種類かそろえてしまったりする。うら若い女の子なら、刺繍の糸とかビーズとかボタンとか、いろいろな小物を入れておく用途もあろうというものだが、中年のオヤジではそうそう入れるものとてない。それがちょっと悔しいが、それでも「いれもの」には心ひかれる。

 缶もいいが、瓶はもっといい。とくにガラスの瓶が魅力的だ。中身が透けてみえるのがたまらない。一時期、果実酒作りに凝ってしまったのも、このガラス瓶の中にいろいろな色のお酒がはいっている様に魅了されたからだろう。レモン、アメリカンチェリー、オレンジなど、次から次へと果実酒の瓶ばかりが増えていったが、結局どれもまずくて捨ててしまった。果実酒は結局のところ梅酒に尽きるというのがその時の結論だった。

 そういう経験があるから、かろうじてこらえているが、イタリアンレストランなどで、ハーブなどをオリーヴオイルに漬けてガラス瓶に入っているのを見かけると、おおっ、と思って、無性に作りたくなる。とうとうこらえきれずに作ったのは、唐辛子をオリーヴオイルに漬けたもので、これはピザにかけるととてもおいしいが、そうそう家でピザを食べることもないので、小さな瓶にはいった唐辛子オイルは一向に減らない。

 人にはおそらく、「中身」があるから「いれもの」を探す人と、「いれもの」があるから「中身」を探す人の二種類がある。山ほどある本を畳の上に積んでおいて、これじゃどうしようもないから本棚でも買おうかと思う人と、立派な本棚を先に買ってしまって、さてここにどんな本を並べようかと考える人では、どこか根本的に違う種類の人間のような気がする。

 仕事の必要上差し迫ってパソコンを買う人と、パソコンを買ってからそれで何ができるのか考える人。

 どうしても書きたいことがあるから小説を書く人と、小説という形でどういうことが書けるのかを考える人。人生を「中身」と考える人と、「いれもの」と考える人。

 ぼくは、どうも後者の傾向が強いようだ。いつまでたっても、「いれもの」ばかりを探している。


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