76 いらだちだ しかもやすらぎがある

2003.4


 久しぶりに中学一年生の国語を教えることになった。教育課程の改変で、国語の教科書もずいぶん変わった。いきなり谷川俊太郎の『春に』という詩が載っている。朗読用の教材として載っているのである。

 ひとりの生徒に読ませてみた。びっくりするくらいうまい。「いいねえ。じゃあみんなで一緒に読んでみようか。」というと、面白がって大声で読み始める。最後まで聞いてから、「いいけど、どの行もみんな同じ調子で読んでるよね。もっと強弱つけるとか、感情を込めるとかしてみてよ。」というと、こんどはもう感情たっぷりで大合唱。若葉の美しい校庭に谷川の詩が流れていく。のどかなものである。

 しかし、谷川のこの詩はなかなか難しい。

この気もちはなんだろう/枝の先のふくらんだ新芽が心をつつく/よろこびだ しかしかなしみでもある/いらだちだ しかもやすらぎがある/あこがれだ そしていかりがかくれている

 授業のための準備をしていて、さてこれらの気もちの適切な例はなんだろうと考えこんでしまった。なかなか浮かんでこないのだ。そのうち眠くなってしまったので、まあ、生徒に聞いたら何かでるだろうと準備をやめてしまった。

 「よろこびだけど、かなしみでもある、ってどういう時かなあ。」という質問に、すかさず「卒業式!」と答えがでた。なるほどそうか。「引っ越し」なんていうのもあった。分かりやすい。「じゃあ、こんどは難しいぞ。いらだつけど、やすらぎがあるって、どういうときなんだ?」

 実は、これが昨晩分からなかったのだ。生徒でも無理だろうと思っていた。するとひとりの生徒が手をあげた。「小さい子と遊んでいると、言うことを聞かなかったりしていらだつけれど、そうして遊んでいることには安らぎがあります。」

 感心してしまった。他のクラスでも、「犬と遊んでいるとき」という似たような例が出た。なるほどそうか。まったく考えつかなかった。

 すごいねえ。確かにそうだ。若いお母さんなんかは、子供が言うことを聞かないと、もういらだつだけで、そこに安らぎを感じる余裕がないんだね。だから虐待とかしてしまうんだろうね、なんて言いながら、君たちを教えていると、きゃあきゃあウルサイからいらだつときもあるけれど、そういう君たちはカワイイから安らぎがあるなあ、と思わず言いそうになってしまった。そんなことを言ったらどこまでつけあがるか知れたものではない。あぶない、あぶない。


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