75 行ったり来たり

2003.4


 久しぶりに大船で夜遅くまで飲んで、大船駅から根岸線で帰ることにした。折り返し22時59分発、大宮行きの電車が入ってきた。こういう電車には、決まって熟睡している乗客がいるもので、そういう連中はその電車に乗ったまま再び大宮方面へと旅立つことになる。今回もそういう男が一人いた。以前はよく車掌が回ってきて、親切に客を起こして回っていたものだが、車掌がくる気配もない。それで声をかけた。

 「大船だよ。降りなくていいの?」中年の男は、うっすら目を開けたが、ムニャムニャ言っているだけで、ちっとも要領を得ない。「このまま乗ってると、大宮に行っちゃうよ。」

 大船あたりでは「根岸線」と呼ばれているが、全体としては一般に京浜東北線と呼ばれるこの線は、神奈川県の大船から埼玉県の大宮あたりを結ぶ、実に長い線である。しかもそれぞれの「終点」で折り返すことが多いから、酔っぱらいにとっては非常に危険な線だといえる。もう数十年も前の話だが、友人が「東京」から「磯子」方面の家に帰ろうと、この京浜東北線に乗った。酔っぱらっていた友人はいつしか眠り込み、ふと気づくと、電車は「上野」のあたりを「東京」方面に向かって走っていたという。

 これがどういうことかお分かりにならない方は、時刻表の路線図をご覧になっていただきたい。彼は「東京」から乗り、終点の「大船」(当時は「磯子」だったかもしれない)で降りなかったので、そのまま「大宮」だか、「南浦和」だかへ行ってしまい、またその「終点」から折り返し、ようやく「上野」あたりで目が醒めたというわけだ。「大宮」と「磯子」は今でも1時間40分ほどかかるのだから、当時なら2時間はかかったことだろう。深夜の酔っぱらいは、埼玉県と神奈川県の間を振り子のように行ったり来たりしていたわけだ。何ともおかしな話だ。

 それにもましておかしいのは、せっかく何時間も電車に乗ったのに、バックしてしまったことだ。

 まあそういうこともあるから、ぼくもその男に声をかけたのだが、結局その男は大船で降りなかった。次の「本郷台」でも降りない。「オトウサン、どこへ行くの?」ともう一度声をかけたが「チカク……」なんていってニヤニヤ笑うばかり。勝手にしろと、声をかけるのをやめたら、「洋光台」で突然降りた。意外としっかりした足取りでホームの階段に向かって歩いていく。まったく酔っぱらいってやつはわけが分からない。


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