73 耳鼻科なのである

2003.4


 耳の調子が悪くて、耳鼻科に通うはめになった。なかなかよくならなかったが、三週間ほど通ううちにようやく直りかけてきた。症状は、耳がふさがったような感じがして、外の音や自分の声が響いてしまいどうにもうっとうしい。最初は聴力も落ちていて、突発性難聴と言われた。幸い、聴力はすぐに回復したものの、耳がいつもボワーンとしていて、何をするのも憂鬱な日も多かった。それがようやく直りかけてきたのである。先生に「どう?」と聞かれるたびに、「えーと、あまり変わりません。」とばかり言ってきたので、今日は「おかげさまで、だいぶよくなりました。」と是非言いたいと思って、午後が休診なので混んでいるに決まっている木曜日だったが、十一時ごろ病院にでかけた。

 案の定猛烈に混んでいた。しかし耳鼻科は案外回転が早いから、一時間も待つことはないだろうと、持ってきた岩波文庫の『林芙美子随筆集』を取り出した。それに今日はこれといった用もない。読書の時間だ。

 待合室の子供たちの大騒ぎも我慢して、本を読んでいたが、待てど暮らせど名前が呼ばれない。そのうち十二時を過ぎてしまった。ぼくより後に来たらしい人もどんどん呼ばれていく。おかしいなあと思っていると、受付の方で、「やまもとさーん」という声。普通は放送で呼ばれるので、何事かと行ってみると、いきなり「もうずいぶん前から何度も呼びましたよ。」と、中年の看護婦が怖い顔をして言う。「いや、呼ばれていませんよ。」と言うと、「もう何度も放送もしましたし、ここからも呼びました。私が呼んだのですから、間違えありません。」とすごい剣幕でにらみつける。しかたないから、「わかりました。」と言って、診察室へ入った。

 無事、先生にも「だいぶいいです。」と言えてほっとして診察室を出ようとすると、さっきの看護婦とすれ違った。ぼくの顔を見るとプイと顔をそむけたので、「さっきはすみませんでした。聞こえなかったのかもしれません。」と頭を下げた。彼女は無理に笑ってみせて、そのまま行ってしまった。明らかにまだ怒っている。

 耳鼻科なのである。耳の悪い人が来ている病院なのである。たとえぼくが聞き落としたとしても、どこが悪いのか。名前の呼び方に不都合はなかったと言い切れるのか。たとえ自分が正しいと思っても「私が呼び忘れたのかもしれません。」の一言がなぜ言えないのか。

 治りかけの耳がまた悪くなりそうだ。


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