71 男役

2003.3


 ファンの方には申し訳ないが、宝塚というのはどうも苦手である。もともとミュージカルがあんまり好きではないうえに、「男役」がキモチワルイのだ。先日もチラッとテレビに見えていたのが宝塚の「忠臣蔵」。大石内蔵助みたいな格好をした「男役」が踊っていた。これはどうしても変で、ぼくの相当柔軟なはずの感性でも限界である。どうして宝塚で時代劇を、それも男ばかりの「忠臣蔵」をやる必然性があるのだろうか。「ベルサイユのバラ」みたいな洋モノなら、たとえ団扇のような付け睫にアイシャドウべったりの「男役」でも、まあいいかと許せるのだが。熱狂的なファンともなれば、時代劇でもなんでも見たいのだろうか。

 女が男を演ずるときに滲み出る「妙な色気」がキモチワルイ。そのキモチワルサこそ宝塚の醍醐味なのだろうが、どうもだめだ。

 都立高校の演劇部の顧問をしていたころ、演劇コンクールの地区予選で、ある女子高校の演ずる木下順二の「夕鶴」を観たことがある。「夕鶴」というのはあまりにも有名だから説明もいらないだろうが、主演の「つう」以外は(ちょい役の子供を除けば)みんな男である。「つう」の亭主の「よひょう」は言うまでもなく、「うんず」とか「そうど」とか、男ばかりで、これを女子高生だけでやるというのはどうみても無理がある。けれども、どうしても「夕鶴」をやりたかったのだろう。その気持ちは分かる。たしかに「つう」になった女の子はきれいだった。けれども、「うんず」や「そうど」をやった女の子は、キモチワルイどころではなく、顔に髭などかいてただもう汚らしいだけ。「夕鶴」をやるんだと言い張ったに違いないわがままな「つう」役の女の子の犠牲になってるようで気の毒だった。

 今の勤務校でも演劇部の顧問をしているが、ここは男子校なので、男に女役をやらせることになる。これは、けっこうおもしろい。たまに妙に色気のある「女形」が出来上がって困ってしまうこともあるが、ほとんどは「笑える」もので、キモチワルイということはない。単にぼくが苦手ではない、ということだけかもしれないが。

 ところで宝塚だが、現役を引退して普通の女優になった人は、実はぼくはたいてい大好きなのだ。なかでも涼風真世、黒木瞳、大地真央などが好き。この人たちはたぶん「男役」だったはずだ。どこか男っぽい女が、ぼくにはいちばん色っぽく感じられるということかもしれない。なんか複雑。


Home | Index | back | Next