69 心配性

2003.3


 この二月中頃、中学生五〇人ほどを引率して、奈良・京都を訪れた。真夏の奈良・京都はこれまで何度か訪れ、ずいぶんヒドイ目に遭ってきたが、暦の上では春とはいえ、真冬のような二月に奈良を訪れるのは初めてのことなので、冬山登山でもするかのような重装備で出かけ、同行者の失笑をかった。どうも旅慣れないぼくは、ちょっとでも遠出となると必要以上に神経質になってしまうのだ。

 それはそうと、三年ほど前の真夏に法隆寺を訪れたとき、五重塔や金堂のある境内の大きな松の木が、みな無残にも中途で切られているのを見て、松食い虫だろうか、それとも落雷だろうかなどと心を痛めたのだが、今回も松の木は多少の枝振りの改善は見られたもののやはり往年の見事な姿には及ぶべくもなかった。今回たまたまその松の根本でお坊さんらしき人が木の養生の仕事をしていたので、「これはやっぱり、松食い虫ですか?」と聞いてみた。するとまったく予想外の答えが返ってきた。

 数年前大きな台風が来て、室生寺の五重塔に杉の大木が倒れかかって塔を破壊してしまったという事故があったでしょう、と言う。ああその事故ならよく憶えている。あの瀟洒な宝石のような室生寺の五重塔が壊滅的な被害を受けた写真をため息ついて眺めたものだ。幸い現在では見事に復元されたようだが、あれはショックだった。その事故があったので、文化庁から、法隆寺でもそういうことがあったら大変だから、境内の松を切りなさいという指導があったというのだ。それでやむなく切りました、そうお坊さんらしき人は言った。

 室生寺などは杉の林の中に塔がたっているのだから、被害は予想できたはずなのに、だれも周囲の杉を切っておこうなどとは思わなかった。しかし事故が起きてみれば、あり得ることだったと誰もが納得したわけだ。しかしだからといって、境内に数本しかない見事な松の木が風で倒れて塔を破壊するなんてことがあり得るだろうか。少なくともここ数百年はそういうことはなかったはずだ。松の木は本当に切る必要があったのかは実に疑問である。

 けれどもまた、文化庁の人の心配もよく分かる。無残な室生寺の塔の姿が目に焼き付いて離れなかったのだろう。法隆寺が万一そうなったら、と思うといてもたってもいられない気持ちだったのだろう。その役人も、二月の奈良だからといって、まるでヒマラヤにでも行くような格好で出かける僕みたいな心配性の人だったに違いない。


Home | Index | back | Next