68 ミニチュアの楽しみ

2003.3


 「なにもなにも、ちひさきものはみなうつくし」とは清少納言の言葉だが、ここでいう「うつくし」とは、現代語の「美しい」とはニュアンスが異なり、「かわいい」というほどの意味である。清少納言は小さいものが好きだったらしい。

 小さいものへの偏愛はぼくにもあって、Nゲージの車両とか、ミニカーとか、切手とか、そういったミニチュアには限りなく引きつけられる。ヨーロッパから帰ったばかりの高村光太郎は、「根付けの国」という詩で、そういうちまちました趣味に耽る日本人を罵倒したが、その彼にしても、晩年の大きな「湖畔の乙女」の銅像よりも、木彫りの小さなセミなんかのほうがずっといい。

 盆栽なども、ちまちました日本文化の典型として一時期ずいぶんやり玉にあがったものだが、BONSAIは欧米では大変な人気だとも聞く。一切の先入観を取り除いてみれば、盆栽はまさに自然のミニチュアで、これほど素晴らしいものはないのだ。草の盆栽にもため息がでるほどいいものがある。

 しかしやはり盆栽ともなるとそれなりの熱意と暇が要求されるからそう簡単には手を出せない。そこで、このところはやっているのが豆盆栽の一種の苔玉である。ぼくもこれならいけると思っていくつか作ってみた。ケト土というたんぼの土を丸めて玉をつくり、これに小さな植物を植えて、その土の玉を水苔で包む。水苔ではなく、スギゴケなどを貼り付けるのが本格的らしいが、うまく貼り付けるのは難しいので水苔にした。

 手のひらに乗る、苔をまとった小さな玉から、小さな草が生えている様はなかなか風情がある。調子にのって10個ほど作ったのだが、時間が経つにつれ、どうも苔が汚らしくなるのが気にいらなくなってきた。下手をすると苔に黴が生えてきたりする。それに意外にはやく乾燥してしまい、水やりが結構面倒だということもわかった。

 もっときれいで手軽なものはないかと思っていたら、以前から気になっていた「水耕栽培」のお店に出会った。小さな鉢に植えられた植物が大量においてある。汚い土は一切使わなず、素焼きの数ミリの玉を土の代わりにして、あとは水だけだ。小さなガラスのコップやビンを使えばいくらでもできる。机の上に置いても、土を使っていないのできれいでよろしい。

 植物好きのミニチュア好きのメンドクサガリにはうってつけだ。水耕栽培のミニチュア植物が、我が家に俄然増殖しそうな気配である。


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