65 名を名のれ!

2003.2


 本当に困ったことだが、人の名前を覚えられない。年々ひどくなってくる。

 教師というものは、まず教え子たちの名前を覚えることから始まるのだ、とエライ教育学者なら必ず言うだろう。普通一般の主婦だって、自分の子供の名前ぐらいはすぐに覚えてくれるということを先生たるものの第一条件として考えているだろう。それなのに、そんな基本的なことすら覚束ないとは、まったく教師の風上にもおけないヤツである。

 せっかく覚えても、間違えることも多い。一番苦手なのは「松村」と「村松」の区別だ。何度覚えても間違える。ぼくの脳の中では、「松村」と「村松」は、どうしても違ったコトバとして認識されないのだ。先日も校内作文コンクールの入選者の冊子を製作したのだが、「村松」君を「松村」君と打ち間違えてしまい、平謝りだった。当人にしてみれば腹も立とうが、どうも「松村」と「村松」は、イメージが似すぎている。これが「田中」と「中田」、「山下」と「下山」などだと、違いがクッキリしていて、さすがに間違えないと思うのだが。もっとも以前「金子」と「小池」が区別できない時期があって、何で? と呆れらたこともあるのでうっかりできない。

 つい先日、ヨドバシカメラをうろついていたら、ニコニコ笑って近づいてくる青年がいる。私服を着ているが生徒のようだ。今教えている中学生に違いないと思って話を合わせていると、「近ごろ体の調子はどうですか?」なんて言う。ということは卒業生だ。しかし名前が分からない。恥を忍んで「誰だっけ?」と聞く。名前を言われたとたんに在学当時の彼の姿まで浮かんでくる。「今教えている中学生かと思ったよ。似てるんだ。」なんて言わなくていいことを言ったら「マジっすか!」と気を悪くしたようだった。別れてからも、ちょっと落ち込んだ気分になった。

 教えてもらった教師に名前を覚えてもらっていなかったというのは、やはりいい気分ではないだろう。『二十四の瞳』の大石先生が、再会した教え子に「あなた誰?」なんて聞いていたのでは映画にもならない。けれども、現在三百六十人の生徒を相手に授業をしている身で、しかも人一倍物覚えの悪い身としては、卒業生の名前まではなかなか覚えていられない。「名を名のれ!」なんて居丈高にはとても言えた義理ではないが、「先生!」と呼び止めたら、まず「何の某です。」とまず名のって欲しいものだ。そうすればお互いに傷つかない。


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