64 間に合った?

2003.2


 五〇歳からでも間に合う小説の読み方、なんて特集をラジオでやっていた。日ごろ、小説など読まないお父さんに何かお勧めの小説はないですかということで、小説雑誌の編集者が引っ張り出されて電話で応対していた。結局、小説雑誌などをいろいろ読んでみて、気に入った作家がいたら文庫本とか単行本を読んだらどうでしょうかなんていうところに落ち着いた。キャスターの方は苛立って、「これを読め」的なはっきりとしたコメントを明らかに求めていたが、そんな要求に簡単に答えないところにその編集者の気概を感じて気持ちよかった。

 それにしても、「五〇歳からでも間に合う」とは、いったいどういうことなのだろうか。何がどう「間に合う」のだろうか。

 「間に合う」というのは、「電車に間に合う」というように、何かしなければならないことが特定の時間にあって、その時間にそのことができる状態にいる、ということだろう。12時10分の電車に乗ろうとして、その時間までにホームに到着していて、その電車に乗れたとき「電車に間に合った」というわけである。

 それなら「五〇歳からでも間に合う小説の読み方」といった場合、「間に合う」べき特定の時間ないしは目標って何なのだろう。五〇歳すぎたオヤジが、何か素敵な小説に出会えたとして、そして読書する喜びを知ったとして、それでいったい何に「間に合った」というのだろうか。

 ラジオのディレクターが考えたのは、日ごろ小説とは無縁のサラリーマンのオヤジが、それじゃいまいち教養人としては恥ずかしいから、何か二〜三冊の小説を読んで「結構小説なんかも読んでいる欧米のエリートみたいなオヤジ」に変身できないものか、そうするためには、とりあえず何を読めばいいのかという「企画」だったのだろう。

 まあコメントを求められた編集者が、「この本と、この本です。」なんて言わなかったからよかったけれど、もしそんなことを言ったとして、それを本気にしたオヤジが、さっそくその本を買って読んで「ああこれで間に合った」なんて思ったとしたら、(いるわけないとは思うけど)それこそ、マジにかっこわるいオヤジができあがるところだった。それくらいなら「小説? 学生時代以来読んでないなあ。」とうそぶくオヤジのほうが、「企業戦士」的で、よほどかっこいい。

 小説読んで何らかのステータスを身につけようと考えるなんて、みっともないこと甚だしい。


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