63 「なめとこ山の熊」

2003.1


 「本というものは、最初のページから最後のページまでちゃんと読むべきものです。そういうふうに本はできているのですから。」あんまり講義のおもしろくない教授がふとあるときそんなことを言った。それ以来、本だけは途中で投げ出したことはないんだと、ちょっと先輩の同僚の社会科の教師が言う。

 彼が学校の「紀要」に出した読書日録のようなものを見てその読んだ本の多さにびっくりして、ずいぶん読んでるんですねえと、なかば「いやざっと目を通しただけだよ。」という答えを期待して言ったことに対する答え。

 へえー、そうなんだあ、と今風の感心の仕方をしながら、ぼくはそんなふうに最初のページから最後のページまできちんと読んだ本のほうが少ないなあと思った。買ってきた本をパラパラと見ただけでもたいしたもので、買ってきて十年たっても、一度も開いてさえいないなんて本も珍しくない。

 題名だけ知っていて、まったく読んだことのない本なんていうのも、本当はけっこう多いのではなかろうか。『ボヴァリー夫人』なんて、有名なわりにはそんなに読まれているとも思えない。『ボヴァリー夫人』なんて、題名だけ聞いてもどんな話なのかいっこうにイメージがわかない。それなら、『戦争と平和』のほうが、題名だけ知ってれば読んだ気になれる。どんな話? と聞かれても、戦争があってさあ、そして平和なときもあったという話さ、と答えても間違いとはいえない。『ボヴァリー夫人』だと、「ボヴァリー夫人がさあ」で、後が続かない。

 名前はよく知っているのに、読んだことがないものに、宮沢賢治の『なめとこ山の熊』という童話がある。最近では高校の国語の教科書によく載ったりしてなかなか評価の高い童話らしい。読めば15分もかからずに読めるはずだ。それなのに、まだ読んでない。それどころか、つい数年前までは、ぼくは『なめこと山の熊』だとばかり思っていた。数年前といえば50歳になんなんとする年頃であるから、高校生のころから知っていたとして、約30年間、ずーっと『なめこと山の熊』だと思っていたわけである。

 で、どんな話なんですか? と生徒に聞かれて、「なめこが好きな熊がね、山に住んでいてさあ。」なんて読んだふりをしなくて済んだだけでも幸いだが、勝手に「なめこ好きの熊」のお話が何となく頭にできあがってしまっているので、やっぱりまだ『なめとこ山の熊』を読む気になれないでいる。


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