62 それでもお相撲が好き

2003.1


 生まれてはじめて大相撲というモノを見たのは、幼稚園の頃だったのだろうか。まだテレビが普通の家庭にはない頃で、まだ大学生だった叔父が、「ヨー坊(と、ぼくは呼ばれていた)、相撲を見にいくか?」というので、ウンというと、「でも長いぞお」と言ったのをよく覚えている。何が長いのかさっぱり分からなかったが、そうか相撲というのは長いものなんだと思いながら、叔父に肩車をされて、叔父の友人の呉服屋さんの家に行った。

 その呉服屋さんにはテレビがあって、何人もがすでに集まってテレビを見ていた。「長い」というのは、「しきり」に時間がかかるという意味だったんだと納得がいったかいかなかったか、そこまでは記憶にないが、とにかくそれが相撲との出会いだった。

 だれが出ていたのかよく分からないが、とにかく若乃花が出ていたことだけは確かだ。そして大関だったことも。叔父だったのか、その友人だったのか、感極まったような声で「若乃花ってのは、つええなあ。」と言ったそのことばが今でも耳の底にしっかりと残って響いている。そのことばを聞いて以来、ぼくは大の若乃花ファンになったのだ。

 やがて若乃花は横綱になり、栃錦やら千代の山やら鏡里やらが活躍するころ、小学生時代をすごしたわけだが、家にテレビが来たのは、5年生のころだったはずだから、相撲はもっぱら家のはすむかいのラーメン屋で見ていたのだろう。あるいはほとんどはラジオの実況だったかもしれない。若乃花が巨漢の鏡里を二枚蹴りという大技で土俵の真ん中にたたきつけた取り組みは、確かにラジオで聞いた。なんだか大騒ぎの実況の中で「ニマイゲリ〜! 鏡里の体が宙にうきました〜!」というアナウンサーの声に、あんな大きな体が宙に浮くなんて、「ニマイゲリ」とはどういう技なんだろうなあとしきりに考えたものだ。

 テレビの相撲をコタツにどっかと座り、いつも楽しそうに見ていたのは祖父だった。口数の少ない祖父はだれのファンなのかも分からなかったが、「相撲は人生そのものだ」というような内容のことをときどきブツブツ呟いていたように思う。父は商売に忙しく、相撲を座ってみている暇などはなかった。だから、相撲はたいてい祖父と見ていたような気がする。

 最近の相撲界の危機的状にいささかうんざりしながらも、それでも相撲は見ずにはいられない。相撲には何だか懐かしい思い出がいっぱいつまっているからだろうか。


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