59 先生ばかりをなぜ責める

2002.12


 「『力不足の先生』187人を認定」と新聞の見出し。「児童の思いを把握できず、ヒステリックに怒る(小学校)」「授業がビデオを使った学習に頼るなど一方的になる。(高校)」「アルコール依存のため、授業が満足にできない。(高校)」などの例があるのだそうだ。

 こういう例を一般の人が聞いたら、なんてひどいんだ、そんな先生がいたのかと憤慨するだろうが、どうしてその先生がそうなったのかについての情報がなければ、一概に非難できるものではない。最後のアル中の場合はまあ論外だろうが、それでさえ、深い事情があるかもしれない。よい生徒に囲まれて、気持ちよく日々の授業ができるなら、どんなに酒の好きな先生だって「アルコール依存」になるはずはない。

 「児童の思いを把握できず、ヒステリックに怒る。」のはなぜなのか。「児童の思い」といえば聞こえはいいが、「つまらない勉強なんて嫌だ、外で遊びたい。」というのだって「児童の思い」だ。それを十分「把握」して、「駄目です。こういう勉強も大事なのです。」といっても聞き入れようとしない児童に向かって、「ふざけるな!たわけもの!」と大声で怒鳴れば「ヒステリック」だと言われる。「ヒステリック」に怒らなければ、先生が怒っていると認識できない児童というものも存在するのだ。

 「授業がビデオを使った学習に頼るなど一方的になる」のはどうしてか。しゃべったって聞きやしないからだろう。いくら熱意を込めて生徒に向かって語りかけても誰も真面目に聞かない。「一方的」にならないように、生徒の意見を求めても知らんぷり。たまに手をあげたと思ったら、「便所いってもいいですか?」。こんな状況だったら「ビデオに頼り」たくもなるではないか。やってられないって、誰でも思うだろう。

 何でもかんでも先生のせいにするのが最近のバカげた風潮である。すぐに「ダメ先生」のレッテルを貼って、研修させる。どんな研修だかしらないが、研修で先生の「力」があがったためしはない。先生は、現場での悪戦苦闘の中でしか成長しないからである。先生を成長させるには、その悪戦苦闘を応援し、励まし、時にアドバイスを与えるしかないのだ。

 先生ばかりを責めるから、先生の精神疾患も増え続けている。その数も十年前の二倍、二五〇〇人になると新聞は報じている。その理由をとくと考える必要がある。もっともワイセツ行為での懲戒処分が一〇〇人というのは情けないかぎりだが。


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