58 腰痛事始

2002.12


 このところ、パソコンの前に坐ってばかりだったので、いつにも増して腰が重く、痛い。いわゆるギックリ腰ではないから、日常生活に支障をきたすというほどではないが、ここ数十年、腰が何ともないという状態をほとんど経験したことがない。

 この腰痛は筋金入りで、何といっても、高校三年生以来の「持病」なのだ。先日、島崎藤村の随筆を読んでいたら、小学校三年生の時だかに風邪を引いて、それ以来ずっと七〇歳過ぎてもその風邪が直らなかったという先生のことを書いていたが、まあそれほどではないにしても、ちょっと似ている。

 「発病」は、はっきりとしている。銀座の阪急デパートで開催された「ユトリロ展」を、高三の時に見に行った時のことだ。とにかくその展覧会は混んでいた。まるで満員電車のようなすし詰め状態。それでもわざわざ東京まで展覧会を見に行くというようなことは、当時のぼくにとっては画期的なことなので、とことん見ようという意気込みで、人混みをかき分け最前列に出て、目の前の絵を熱心にみた。ところがあまりの混雑のために、人がちっとも動かない。次の絵の前に移動するまで何分もかかるというありさま。それでも、かえって一枚一枚をゆっくり見ることができるのだからいいやと、延々と最前列で見続けた。一時間以上もたった頃だろうか。突然、腰が猛烈に痛み始めた。それまで経験したことがない痛みだった。けれどもここで引き下がるわけにはいかない。ほとんど立っていられない状態だったが、最前列の人間が絵に触らないようにと設置されていた手すりにすがりつくようにして、絵を見続けた。それがぼくの腰痛の始めだった。それ以来、直らない。

 この腰痛は、特に、ゆっくりと歩いてみることになる展覧会、デパートなどでの買い物、それから同じ所に立ち続けなければならない電車の中などが一番ひどい。

 ぼくが都立高校をやめた原因のひとつは、この腰痛である。とにかく、立ちっぱなしの電車通勤が耐えられなかったのだ。都心の青山高校に通勤していたときは、とにかく坐るために、家を毎朝6時15分に出ていた。冬などは、まだ空に星が出ていたものだ。そんなある朝、横浜駅で電車を待っていると、隣のホームにガラガラに空いた下り電車がとまった。そうか、大船(大船には母校があった)に通えば座れるんだと、ふと思った。それが、都立高校をやめるきっかけになってしまったのだから、腰痛もなかなか侮れない。


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