54 ポイントはスッと動く

2002.11


 レールのポイントは、知らぬ間に切り替えられている。

 京急上大岡のホームの一番後ろに立って、やって来る電車を待ちながら、レールのポイントのあたりを眺めていると、そのことが実感される。ポイントが動くところを見ようとしたら、よほど目を凝らして、見続けなければならない。とはいうものの、「それ」を見ることがそれほど困難なわけでもなくて、飽きずに見ていれば、ポイントのあたりのレールが、さりげなくスッと動くのを目撃することができる。

 それはほんとうにさりげない動きで、動くといっても、おそらく数センチの距離だろう。しかしその数センチの動きによって、そこを走る電車の進路がまったく違ったものになる。ポイントが切り替わらなければ、電車はホームの右側に直進してくるのに、切り替わると、その地点で電車は大きく進路を変えて、うねるように曲がって左側のホームに入ってくる。そのためにポイントがあるのだから当たり前のことなのだが、ポイントのあまりにわずかな動きの結果が、この電車の劇的な進路変更だということが、ときどき、恐ろしく感じられるのだ。

 右に行くか、左に行くか。扉を開けて中に入るか、扉の前を通り過ぎるか。そういう無数の選択を、ぼくらはいとも簡単に日々行っている。それらの選択肢の間の距離は、レールの数センチの距離でしかないように感じられる。だから気にもしない。第一、日々の細々とした選択が、その後の人生のどのような影響を与えるだろうかなどと、いちいち考えていたら、生きていけない。そして多くの細々した選択は、実際には「どっちでもいい」ものだ。昼食にラーメンを食べようが、ざるぞばを食べようが、人生にはほとんど影響がない。

 しかし、その「どっちでもいいい」ような細々した選択肢が、時として重大なポイントとなる。そしてそれは必ず後になって分かるのだ。

 あそこにポイントがあるぞとあらかじめ分かっていることもある。大学受験とか、お見合いとか、そうしたあからさまなポイントは、覚悟して通過することになるだろう。しかし、あとから「ああ、あれがポイントだったんだ」と分かるポイントは、考えてみれば恐ろしい。

 恐ろしいともいえるが、だから人生楽しいのだ、ともいえる。思いがけない人生の展開や広がりは、たいていこの後から分かるポイントの仕業である。今もどこかで、ぼくらの人生のポイントは、音も立てずにスッと動いているのだろう。


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