49 人生は金次第

2002.10


 幸せはお金では買えないなんて言う人は、お金持ちにきまってる。ありあまる程の金で買いたいものはみんな買ってしまい、もう買い物は飽きた、やっぱり金はあればいいってもんじゃないとふとしたはずみに思ったり、ありったけの金をつぎ込んだ女にあっさり振られて、「金で買えないものもあるんだ」とはじめて悟ったような気になったりするだけの話で、真実でも何でもない。

 貧乏人は、幸せは金で買えると思っているものだし、事実、たいていの幸せは金さえあれば何とか手に入るものだ。「金がなければ手に入らない幸せ」のほうが、「いくら金を積んでも手に入らない幸せ」より、百倍も千倍も多い。これがリアルな現実である。

 いちばんいい例が食べ物で、これはもう「高いものは旨い」のだそうである。食通で有名だった誰かが本の中で言っていた。高いものをうんざりするほど食った人間にそんなことを言われたら、貧乏人には反論のしようもないし、反論する気もない。確かに一本千円のワインより、三万円のワインのほうが旨いに決まっている。いや、千円のワインだって旨いのもあると言ったって、千円のワインなりに旨いだけの話で、とても三万円のワインにかなうものではないだろう。もっともそんなワインは飲んだことがないから伝聞・推測の域を出るものではないが。

 健康は金では買えないなんていうのも昔の話で、今では金さえあれば結構健康も手にはいる。臓器移植にいったいどれくいらいの金がかかるか知らないが、外国へ行って移植手術をしたいという人がいると、必ず募金活動が行われる。金持ちなら、募金なんかしなくてもさっさと外国へ行って手術も受けられるわけなのだ。

 ストレスのないのどかな日々を送ればきっと長生きできるのだろうが、都会のサラリーマンにとっては、「ストレスのないのどかな日々」は、金なくして手に入るものではない。金に余裕があればこそ、五〇代でリタイアして田舎暮らしを楽しむことだってできるわけで、金のないヤツはいつまでたっても、ストレスの多い満員電車に揺られるしかないのだ。

 若い頃は、金なんかどうでもいいと思っていた。人生は金じゃないんだと思っていた。しかし、今は、人生は金次第と思っている。それが、五〇年生きてきた人間のまっとうな考えだと思うのだ。五〇過ぎても、人生金じゃないなんてことを言っていられるのは、金持ちか修道僧かのどちらかである。いずれにしてもタワゴトである。


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