47 ありがたくない話

2002.10


 クロマグロの漁獲量はこのところ激減しているのに、マグロのトロの値段は以前より格段に安くなっているのです。それはなぜでしょうか。

 どうしてかなあと思って見ていると、テレビの画面はオーストラリアのマグロ養殖場に移る。ここではマグロの幼魚を捕獲してきて生け簀で飼い、大量の餌を食べさせて、全身トロのマグロを作り出しているのです。

 へー、そうだったのか。「全身小説家」という映画があったが、とうとうマグロもそこまできたか。

 天然のマグロは尾のあたりは赤身だけでほとんどないのに、そういう養殖マグロは尾のあたりまでトロだ。つまり脂肪だらけ。天然のマグロのトロは全体の三割ぐらいだそうだから、全身トロのマグロがいれば、漁獲量は減っても、トロは増える。従って安くトロが食べられるというわけだ。

 トロが安く食べられるというのは誠に結構なことではあるけれど、「全身トロ」のマグロって、果たしてマグロといえるのだろうかという疑問は残る。そもそもトロはその昔は脂っこいということで、食べずに捨てていたもんだという話をどこかで聞いたことがある。それがいつかしら珍重されるようになり、量が少ないから値段も高くなり、値段が高いから高級感が出て、寿司屋で大トロを頼むのが夢になったりもするようになった。

 それが全身トロのマグロの出現で、回転寿司でも大トロがじゃんじゃん食べられるようになれば、なんだこんな脂っこい刺身、食えたもんじゃねえ、というような時代にまた戻ることになるのではなかろうか。

 ちょっと前までは、数の子が高級食材としてもてはやされたことがあった。ニシンがさっぱりとれなくなったからである。お正月料理に欠かせない数の子が、高価なお歳暮の定番という時期もあった。それが今では数の子なんて話題にもならない。まさか、全身数の子のニシンが開発されたわけではないだろうが、きっと安い輸入物が大量に入ってくるようになったからだろう。

 安くて大量にあれば、だれもありがたがらない。「有り難がる」というのは語源的に言えば、「存在することが難しいと考える」「めったにないことだと思う」ということなのだから、大量にあるものに対して「有り難がる」ことは原理的にできない相談なのだ。

 全身トロのマグロどころか、最近ではマグロの完全養殖が可能になったと報じられている。近いうちにマグロの大トロも、完全に「有り難くない」食べ物になることは間違いなさそうだ。


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