45 復習するは我にあり

2002.9


 勉強するときに大事なことはなんでしょうかという問に、なぜかピエロの服を着たピーター・フランクフルは「勉強したことを忘れないようにすることです。それには復習が大事です。高校生のときだってそうだったでしょう? 歴史の本を一回読んで全部覚えられたなんて人はいなかったはずですよ。」と答えた。放送大学関係の番組だったと思う。

 途中から偶然みたので、なんで赤や黄色のパジャマみたいな服を着ているのか理解できなかったが、この言葉は心に残った。

 最近年のせいか、本を読んでもちっとも残らなくて、というような話はよく聞くし、自分でも年をとる前からそう思っていた。しかしこの話を聞いて、そうか復習しなくちゃダメなんだと納得したのだ。

復習というと、中高生だけに課せられた義務のように思われがちで、しかも肝心の中学生や高校生がちっともやらないことなのだが、確かに大学受験のときのことを思い出しても「歴史の本を一回読んで全部覚えられた」なんてことは絶対になかった。

 それなのに、いったん大学に入り、社会人になってしまうと、本を読んだら一度で全部頭に入らないといけないんだと思ってしまう。そんなことできっこないから、結局年のせいにして、「若い頃もっと勉強しておくんだった」などと、若い頃「勉強なんかして何の役にたつんだ」と遊びまくっていたころのことなどただの心の迷いだったとばかりに、ため息ついてみたりする。

 そうじゃなかったんだ。若い頃だって、大事なことは必死で復習していたのだ。「book」だの「chair」だのという簡単な単語でさえ、一度で覚えられたわけではなかったのだ。

 年のせいではない。ただ、復習をおこたっているだけだ。いや、復習という学習法があることを忘れていただけだ。中高年よ、復習せよ、か。

 いやそんなことはどうでもよろしい。老い先短い中高年がいまさら復習しても、たかがしれている。問題は、中高年ではなくて、中高生だろう。中高生が勉強しなくなって久しいが、もういちど声を大にして、「復習せよ」といわねばなるまい。なんてったって、僕は教師なんだから。

 ところで、「復習」の大切さと楽しさは、すでに孔子サマが言っている。「学んで、時にこれを習う。また楽しからずや。」と。この「習う」が「復習する」に他ならない。

 すべてのことは、すでに言われている。だからピーター・フランクフルはピエロの服をきていたのかもしれない。


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