44 ゴフーサンとスルメイカ

2002.9


 久しぶりに寿司屋で酒を飲んでいたら、冷酒の入ったガラスの盃にポツンとゴミみたいなものが浮かんだ。ゲソ焼きに振りかけてあった七味のようだったが、あれっ何だろうと思ったとき、ふと「ゴフーサン」という言葉が口に出た。

 「知ってる?」と隣の家内に言うと、「知ってるわよ。私だって飲まされたんだから。」と家内。「え? あんたの家でもそんなの飲まされたのかい?」「違うわよ。あなたのオバーチャンよ。確か妊娠してるときだったかなあ。」

 そうか、そこまで「被害」は及んでいたのか。

 ぼくの祖母ときたらやたらこの手のモノが好きだった。「ゴフーサン」というのは、正式には「護符」のことであるということを知ったのはおそらく成人してからのことで、それまでは得体のしれない「ゴフーサン」だった。

 祖母だけの癖なのか、それとも祖母の出身地の静岡県蒲原の方言なのかしらないが、言葉の中程を長くのばすくせがあって、スプーンのことを「オシャージ」と言っていた。「オシャージ」が「サジ」のことだと分かったのもだいぶ経ってからである。

 それはともかく、体の具合が悪いと、すぐに飲まされた。胡麻粒ほどの赤い「ゴフーサン」を水を入れた盃に数粒浮かべて、それを一気に飲みくだすのだ。味はない。

 その赤い粒は、薄い和紙に朱筆で経文か何かを書いて細かく折りたたんだものを更に細かく切り刻んだモノであったらしい。それで病気がなおったためしはなかったから、ぼくは全然信じていなかったが、それを飲まないなんてことは許されなかった。そんな習慣のない家内が、どんな気持ちでその得体のしれない「ゴフーサン」を飲んだのだろうと思うと、おかしくもあり、今更ながらちょっと気の毒にもなった。

 祖母の「この手のモノ」を挙げていけばキリがなくて、例えば、ぼくが風邪をひいてゴホンとセキをすると、いきなり戸棚から「スルメイカ」を取り出して、それをちぎって火鉢にくべる。もちろん部屋の中はたちまちモウモウたる煙が立ちこめ、まともに目も開けていられない有様となる。家の中で迷子になると言っては大げさだが、とにかく視界はゼロに近い。祖母はその煙で風邪のビールスを退治できると本気で思っていたらしい。それはぼくの風邪を治すというよりも、自分がうつらないためにやってるとしか思えなかった。

 それでも、家の者は文句をいうふうでもなかった。文句をいえばやめるような祖母ではなかったのである。


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