43 タマちゃん

2002.9


 多摩川に現れたから「タマちゃん」。安易なネーミングである。アゴヒゲアザラシの子どもらしい。それが、たまたま多摩川をさかのぼり、橋のたもとに居着いたから「タマちゃん」と呼ばれて、いちやくこの夏のアイドルとなった。ところが、台風がやってきて、多摩川も増水し、「タマちゃん」は消えた。どこへいったの? という話題でテレビが大騒ぎしているうちに、今度は鶴見川に出現。「多摩川と違って、鶴見川は汚いですからねえ。タマちゃんの健康状態が心配です。」と、現場中継のお姉さんやらお兄さんやらは、多摩川は日本の清流だったのかと勘違いさせるようなリポートをする。

 それにしても、多摩川の増水でいったんは海に出た「タマちゃん」が、なんで今度は鶴見川をさかのぼる気になったのか。変なアザラシである。どこかのテレビ関係者が、そっとつかまえて、鶴見川に放したんじゃないかと勘ぐりたくなる。

 「タマちゃんは、この夏の日本中の話題を独占しました。」と現場のお姉さん。何を血迷っているのか、テレビがこんな話題にしがみついただけじゃないの。多摩川や鶴見川に連日十万人の人間が全国から駆けつけ押し寄せ、挙げ句のはてに川に落ちて溺死する人間まで出たというのならともかく、そこに集まったのおそらく近くの人たちで、せいぜい、数十人らしいから、あとはテレビのバカ騒ぎ以外の何ものでもない。

 集まった中高年は「いやー、近頃暗い話ばっかりでしょ。だからいいんじゃないの。」なんて言い、若者は「癒しですよ。ほっとする。」とか「テレビで見て、ヤベー、いかなきゃって思って来ました。」とか言ってるわきで、ちゃっかり「タマちゃんTシャツ」なんてのを売ってるヤツもいる。

 要するに、「暗い世相に明るい話題」というコンセプトらしいが、なんで汚い川に迷い込んだアザラシの話が「明るい」のかよくわからない。迷子のアザラシを見て、何で「癒される」のかも分からない。なんでテレビに出たアザラシを見ないと「ヤバイ」のかも分からない。

 そんなに明るくて癒される話題が欲しいなら、人間世界にいくらでもころがっているではないか。介護の現場、教育の現場、医療の現場、どこにだって「いい話」はあるはずだ。そういう話を探す努力をしないで、可哀想な迷子の動物を無責任に「明るい癒しの動物」に仕立て上げて喜んでいるテレビ人間どもの何たる怠惰、何たる無能。

 情けない夏の話題であった。


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