40 「3」と「5」

2002.8


 スポーツの世界では、数字が大事な問題になるが、その数字の持つ意味がスポーツによって随分と違う。得点のことではなく、選手個人の成績に関する数字のことだ。

 野球のバッターにとっては、「3」が一つの境目になっている。3割バッターは、強打者の代名詞だ。4割バッターというのは滅多にいない。それでも大リーグでは、一九四一年に4割バッターが出たそうだが、それ以後はいないらしい。どうして4割打てないのだろうか。越えがたい壁はいったいどこにあるのだろう。不思議である。

 100メートルを9秒台で走ることはできるようになったが、8秒台で走ることは到底できそうにない。これは、人間の肉体の構造によるものだろう。それと「3割打てればいいほうだ」ということとはどうも問題の質が違うようだ。

 「5」が問題になるのは相撲である。5割を越えれば勝ち越しで、越せなければ負け越しという相撲にとっては、3割勝っても何にもならない。5勝10敗だと約3割3分という勝率で、野球のバッターなら万々歳なのに、相撲では「大負け」である。これもどうしてなのだろうか。大関ともなれば、先代の貴ノ花なんて、9勝6敗が多くて、「クンロク大関」なんて悪口を言われたものだ。「3割大関」と言っていばれるなら、随分楽だったろうになあと可哀想に思う。

 芸能ではどうなのだろうか。お笑いなんか、「3割」受ければいいのだろうか。それとも「5割」だろうか、「8割」だろうか。最近の「お笑い系バラエティー」は「10割」受けようとしているように思える。ちょっと「スベル」と、すぐに「スベッタ」ことをネタに、必ず「受け」に転化してしまう。あるいは、「スベッタ」ところは全部編集でカットしているのかもしれない。お笑いは相撲じゃないんだから、やはり「3割」でいいと思うのだが、それでは生き残れないらしい。

 先日、未知の方からメールが飛び込んできて、ぼくのあるエッセイに憤慨しておられた。「何が100のエッセイだ!」と最後に叫んでおられたが、「100のエッセイ」ってそんなに傲慢なネーミングだろうか。100並べましたというだけの謙虚な名前だと思うのだが、何でそんな言葉が出てくるのか不思議だった。ひょっとしてその方は「100パーセント」のエッセイだと勘違いしたのかもしれない。それじゃ、「10割」になってしまい確かに傲慢だ。

 冗談じゃありません。「5勝10敗」なら上出来と思っています。


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