39 切ないほど欲しいモノ

2002.8


 子どものころ、欲しいモノがあると、よく父にねだったものだったが、容易には買ってくれなかった。欲しいモノを片っ端から与えるのは教育上よくないと考えたというよりは、お金がなかったということらしい。「ことらしい」なんて無責任な言い方だが、実際、小学生はおろか高校生になっても、ぼくは自分の家の経済状況がよく分からなかった。祖母が「月給取りだったらこんな暮らしはできない」と口癖のように言うものだから、ウチは金持ちなんだと漠然と思っていたフシがある。とんだバカ息子である。

 それはともかく、小学生のころは、とにかく欲しいものがあると、手に入るまでしつこくせがんだものだ。せがんでいるうちに、なぜだか決まって切なくなってきて、泣いてしまうのだった。父はまたかと呆れた顔をして「何でおまえはそうやってすぐに泣くんだ」と情けなさそうに言ったものだ。自分でも情けなかったが、どうすることもできなかった。

 一年ほど泣きながらせがみ続けて(本当に一年だったろうか、子どもの時間は長いから半年だったかもしれない。)買ってもらったものに顕微鏡がある。小学生の高学年のころだったろうか。とにかく顕微鏡が欲しくて欲しくてたまらなかった。「ねえ、顕微鏡、ダメ?」と父に言いはじめると、もう目には涙がいっぱいである。とにかく切なくなるほど欲しい。この気持ちは今でも鮮明によみがえってくるが、では今もその時と同じような切ない気持ちで欲しいと思うモノがあるかというと、まったくない。欲しいモノはあるにはあるが、泣けるほど欲しくはない。なければないでいいモノばかりだ。そう考えると、あの時代が恋しくもなる。

 顕微鏡といっても、手のひらに乗るようなオモチャみたいのから研究者用までピンからキリまである。ぼくがイメージしていたのは、オモチャみたいなものだったから、どうしてなかなか買ってくれないのか、分からなかった。

 しかし、父が買ってくれたのは、ぼくのイメージをはるかに越えた高級品だった。研究用ではないが、学生用にオリンパスが作った「オリンパス・ミック」という顕微鏡で、当時四千円ほどしたと思う。大卒の初任給が2万円そこそこの時代である。父にしてみれば随分大きな買い物だったはずだが、ぼくはそんなことより何より泣きたいほど嬉しかった。

 いいモノはいい。その顕微鏡はその後中学高校時代の「研究生活」を支え、生き物の神秘を見せ続けてくれたのだった。


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