36 「蟻」

2002.7


 スネ毛なら自慢できる。サワサワとなびく様は、まるでサバンナの草原だ。

 十年ほど前のこと。風呂上がりに何となくスネを手のひらでこすっていると、その手のひらに突然妙な感覚が走った。何かが「生じた」のだ。あれっと思って手をどけてみると、何と数匹のアリがいるではないか。ぞっとしてよく見れば、スネ毛がよじれて出来た「毛玉」だった。「あれっ」と思って「何だ毛玉か」と分かるまで、一秒以上はかかっていないのだが、とにかくびっくりした。

 ぼくは思わず家内を呼んだ。「ちょっと、ちょっと! 変なもんがいるよ!」何事かと僕のスネを見た家内は「ウ! 何それ!」とのけぞった。「毛玉」だとわかっても、気持ち悪がって逃げていってしまった。

 たしかによく「出来ている」。まるで「蟻」という字のように丸まった毛玉は、不気味だが妙にリアルだ。何度やってもよく出来る。手のひらが適度に湿っていると特によく出来る。

 そのころ小学四年生ぐらいだった姪が家にやってきたとき、さっそく「蟻」を作ってみせると、面白いことが三度の飯より好きな姪は、もう狂喜乱舞。床を転げ回って笑う。しまったと思ったがもう遅い。

 それからというもの、姪は家に来るたびに、当時同居していた家内の甥(姪と同い年)と連れだって、「おじちゃん、蟻作って〜」とせがむようになった。受けるのはまんざらでもないから調子にのって「蟻当てクイズ」を考案した。「それじゃ、何匹か当てろよ。」たくさん作ろうと思えば、強く長くこすればいい。手のひらにどんどん「蟻」がふえていく感触が伝わる。「蟻」の大きさや数までコントロールできる。何事も熟練である。「五匹!」「七匹!」「そうかなあ。では! ジャーン!」「ウワー、一、二、三……十匹だあ。」

 クイズは面白いが後が大変。「蟻」が消えなくなることがある。毛が強くからみすぎて、ほどけなくなるのだ。櫛を使って梳かしてもダメ。そうなると、その「蟻」をはさみでスネから切り離さなくてはならないという悲惨なはめにおちいるのだ。せっかくのフサフサのスネまでハゲたら大変だ。

 「今日はこれでおしまい!」といっても、姪も甥も聞くモノではない。挙げ句の果てに自分でやらなくては気がすまなくなって、「今度はワタシにやらせて! お願い!」姪などはもう喜色満面、目をランランと輝かせ、この世にこれほど面白いことがまたとあろうかとばかり、手のひらを唾で湿らせながら迫り来るのだった。


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