27 活き作り

2002.5


 活き作りというヤツが残酷で嫌だという人が結構いるが、豚とか鶏の活き作りならともかく、魚の活き作りのどこが残酷なのだろうか。いい趣味だとも思わないが、魚に睨まれているようでコワイなんて女優が言ったりするのを聞くと、カマトトだなあなんて思ってしまう。先日も誰だかが、シラスがコワイって言っていた。小さい無数の目で見つめられているような気がするというのだ。ここまで来ると、かえってその想像力に感心してしまうが、それならメザシなんてもっとコワイ。化けて出て来られても仕方ないような仕打ちだもの。

 まあいずれにしても、食べてしまうことに変わりはなく、それも動物を食べるとなれば、どこかで酷い仕打ちをしているわけで、宮澤賢治のように動物を一切食べないというのならそれはそれで大いにうなずける態度である。しかし、フォアグラとか子牛のヒレ肉とかに舌鼓を打つ一方で、エビの躍りが残酷だなんて非難するのは説得力がない。むしろ活き作りは、食べるという行為の罪深さをしっかり認識しながら食べるという意味で、一種の厳粛さがあるとも言える。喉に無理やり餌を詰め込まれるガチョウや、イタイケナ瞳の子牛のことを頭から追い払って、気取ってナプキンで口を拭うほうが余程欺瞞に満ちている。

 先日福岡に行ったとき、どうしてもイカの活き作りを食べたくなった。10年ほど前に福岡の居酒屋で生け簀の中を泳いでいるイカを刺し身で食ったのだが、ゲソの吸盤が、口の裏側やら舌やらに吸い付いてきたのが強烈に印象に残っていたのだ。

 どうかしてもう一度食べたいと入った料理屋のメニューに、おお「イカの活き作り」とあるではないか。頼んでみると、何とイカが丸ごと一匹大きな皿に乗ってきた。背中は既に食べやすいように短冊に切られているが、足はそのままで、ウネウネと動いている。新鮮で透明なイカは、なんともうまかったが、やはりちょっと可哀想な気もしたのも事実。目がどことなく恨めしげだった。

 ずっと昔、伊豆のほうのドライブインで、ハマチの活き作りを食べたことがあるが、あまりに生きがよかったのか、箸でつまんだ刺し身がピクピクと動いた。あれも結構気味の悪いものだった。

 房総の方で、アワビの踊りも食べたことがあるが、生きたまま火の上でやかれるアワビの身が苦しみ悶えて貝殻からウニュウニュとはみ出してくる。これがいちばん怖かった。

 やっぱり、活き作りは趣味が悪いかもしれない。






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