24 シフゾウ

2002.4


 秋田の大森山動物園とかいう所で、シフゾウの赤ちゃんが誕生したらしい。らしいというのは、そのテレビニュースを途中から見たからで、動物園の名前も「大森」という文字しか読めなかった。しかし、とにかくシフゾウの赤ちゃん誕生ということは事実で、それならめでたい出来事なのだが、せっかくそのニュースを聞いてやってきたお客さんも、シフゾウを見ると「何だ、シカじゃん。」と言ってちゃんと見てくれないんです、と動物園の職員が苦笑していた。ナレーション嬢も、シフゾウの前に人はまばら、みんなシマウマやキリンを見にいってしまいます、なんて言っていた。

 ぼくもつい最近までシフゾウなんて知らなかった。知らなかった時にその名前を聞いたら、やっぱり象の一種だと思ったろう。何でシフゾウを知ったかというと、堀江敏幸のエッセイに出てきたからだった。

 この中国原産の偶蹄目の存在をどこで耳に入れたのか、いまとなっては定かではないけれども、「頭は馬に似て馬にあらず、蹄は牛に似て牛にあらず、体は驢馬に似て驢馬にあらず、角は鹿に似て鹿にあらず」というその名の由来を教えられたのが『広辞苑』であることは間違いなく、カモノハシやオカピみたいに複数の要素を混ぜ合わせた加算もしくは剰余型ならまだしも、他の動物との類似を、つまり既成のジャンルを否定することでしか自己同一の許されない生き物が現実に存在し、さらにその名にし負う数奇な運命をたどって絶滅の危機から逃れたという史実を知るに及んで、私の好奇心は大いに刺戟されたのだった。

 ぼくもこの文章によっておおいに好奇心を刺戟されたわけなのだが、シフゾウそのものというよりも「既成のジャンルを否定することでしか自己同一の許されない生き物」というフレーズにより引き付けられたのだ。

 お前はこういうヤツだと規定されそうになると、いやオレはそんなんじゃないといつも否定し続け、そうすることによってしか「自分」を守れなかったのがぼくの人生のような気がこのごろしきりにしていたからかもしれない。

 あれも嫌これも嫌の人生。「ああなりたい」と思うより「ああはなりたくない」と思うほうがはるかに多かった人生。ぼくもまた「否定することでしか自己同一の許されない生き物」なのだろうか。それならいっそ「ようぞう」なんてやめて「やまもと しふぞう」と改名してしまおうか。「何だ、ただのオヤジじゃん」と誰も見向きもしないだろうが。


Home | Index | back | Next