22 引き算

2002.4


 昨今のCMを論じて「あれもやる、これもやる、ありったけの要素を全部つぎこむから、どのCMも、同じように見える。個性的なスタイルは、何をやらないかという引き算で成り立つ。」と、ジェームス三木が言っている。(週間新潮)

 そう言われて改めてCMを見ると、ほとんどがあてはまっている。もちろん、ときどきそうではないものもあるが、やはり少数派であることは間違いない。相変わらず「まーるいミドリの山手線」のヨドバシカメラ的CMが幅を利かせている。

 CMのことはしかしまあどうでもよいとして、ジェームス三木は、先ほどの言葉のすぐあとに「人生もまた同じである。」と続けている。ジェームス先生もとうとう悟りを開いたのだろうか。

 ぼくは以前『食えない自慢』というエッセイを書いて、「食えないことが自慢になるか!」と吠えたことがあるが、「個性的なライフスタイル」というものについて、つらつら思いを巡らしてみれば、確かに、「何をするか」よりも「何をしないか」の方が、鮮明にそのスタイルの個性をあらわにするように思える。

 いい例がベジタリアン。「肉は食べない」というのはもうレッキとした個性的ライフスタイルで、これを「肉を食べる」というのと比べてみれば、そのインパクトの違いは言うも愚かである。「食べる」方は、「毎日3キロの肉を食べる」ぐらいでないと太刀打ちできない。と言って、それでは金がかかりすぎるし、第一体がもたない。

 別にライフスタイルなんて、個性的である必要なんかこれっぽちもないのだが、やはりあんまり当たり前の生き方では、どうも張り合いがない。とすれば、少しは人に「ヘエー、そうなんだあ。」ぐらいのことは言ってもらえるような「個性的スタイル」のひとつぐらいはあったほうが、人生楽しいかもしれない。

 でも、所詮その程度の楽しみのためなので、あんまりお金がかからないほうが望ましい。そういうときに「引き算の人生」というのは案外いいかもしれない。

 ではいったい何を引くのか。

 お刺身に醤油はつけませんなんていうのもイマイチだし、納豆はかき混ぜませんでは気持ち悪いし、風呂には入りませんじゃ汚いだけだし、髪の毛はもうすでにだいぶ引かれてしまっているし、税金は引かれっぱなしだし……。

 考えてみれば、もう十分すぎるくらいに引き算の人生は達成されている。それなのにちっとも「個性的スタイル」になっていないのは、なぜ?



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