20 男の蘊蓄

2002.3


 グータラ亭主にどうやったら家事を積極的にやらせることができるかというNHKの番組で、大阪大学の人間科学だかの教授のイトウ先生とかいう人がニコニコ笑いながら、そういう人は出来ないことを自慢しているわけで、おれは洗濯なんかできない、掃除機の使い方も知らないなんて自慢するのは「変」ですよね、と言って、グータラ亭主を改造する三つのポイントを挙げた。「達成感・蘊蓄(うんちく)・自慢」

 だいたいこの手の話題にわざわざ大学教授まで引っ張り出すことはないんだ、どうせ誰でも言いそうなことしか言わないんだからなんてブツブツ言いながら聞いていたが、この三つは、なるほどうまいことを言うもんだと感心した。

 達成感があると人間はやる気がでるもんだぐらいは、高校教師レベルでも言えそうだ。文法の小テストなどで、「目指せ満点!」ぐらいのことはぼくも言っている。問題は「蘊蓄」である。「蘊蓄」というのは「十分研究してたくわえた学問、技芸などの深い知識。」という意味だが、男というものは「十分研究して」なんかいなくても、すぐに「蘊蓄」と勘違いしてそいつを「傾ける」ものだ。その「蘊蓄」はもちろん「自慢」に直結している。

 達成感のあることをやらせて、すこし知識や技が身に付くと男はそれでいっぱしの者になったと勘違いしてすぐに自慢するようになる、そうなったらもうあなた、ほっといても家事をしますよ、ということだ。イトウ先生、するどいなあ。

 考えてみると何てことはない。出来ないことを自慢していた男が、出来ることを自慢する男になっただけのことだ。

 おれは亭主関白なんだから家事なんかやらないんだ。やったことないから出来ないんだ。という自慢から、レンジ周りの油のよごれはさあ、洗剤つけてからその上にしばらくラップを貼り付けておくわけよ、そうするとキレイに落ちるんだな、という自慢へ。

 女はこんなことは決して自慢しない。情報として別の女に教えることはあっても、それは「蘊蓄」ではない。ミツバチが蜜のありかをダンスで教えるような自然の行為だ。

 男は、自然から逸脱している存在だから、自慢するしか能がない。自慢というのはすなわち、自分の存在意義を内外にアピールすることで、それをしないと男は確固とした存在理由を獲得できない哀れな存在なのだ。どっちへ転んでも自慢するのが男なら、「役にたつ自慢」をさせようとは、さすが大学教授。エライものだ。



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