18 特上

2002.3


 「鯵の押し寿司」という駅弁がある。JR東海道線の大船の駅弁だ。大船駅は母校の(そして現在の勤務校の)最寄り駅なので馴染みが深いのだが、ぼくが中学生の頃からこの「鯵の押し寿司」は売られていた。といっても、中学生の頃から「鯵の押し寿司」を昼食のお弁当に買って食べるというような贅沢をしていたわけではない。これを買うのは、休日に三浦半島などへ昆虫採集に出かけるときで、山のてっぺんやら、木の下やらで食べる「鯵の押し寿司」の旨さはまた格別だった。

 そもそも「押し寿司」というものを知ったのは、この「鯵の押し寿司」が最初だったように思う。当時は寿司といえば「にぎり」か「ちらし」に決まっていたので、「押し寿司」の形自体が珍しかった。それに酢でしめた、ちょっと油っぽい鯵の独特の風味が魅力的だった。

 しかし最近は「バッテラ」とか「小鯛の押し寿司」とか様々な寿司がスーパーに並んでいるから「鯵の押し寿司」の有り難みもだいぶ薄れてしまった。それに最近ではどうも昔に比べてしょっぱくなったような気がする。それより何より、八百五十円は高い。それなら横浜駅の「シューマイ弁当」七百十円の方が余程リーズナブルである。

 先日、中学二年生の教室に入るや、掲示板に麗々しく貼られた「鯵の押し寿司」の包装紙が目に飛び込んできた。それも「特上」のである。実はもう何年も前から、「鯵の押し寿司」には昔ながらの「ふつう」(と名前が付いているわけではないが)の他に、「特上」というのが出来たのである。しかしただでさえ高い「鯵の押し寿司」の「特上」は千円という法外な値段。「ふつう」の隣にある「特上」にチラチラ目をやりながらも「まあ、ふつうでいいや」ということになってしまうのだ。この百五十円の差は案外越えにくい。別に百円、二百円のはした金に困っているわけではないが、なんかもったいないのだ。それなのに……。

 「誰だ!そんなものを食ったのは!」とこわもてで言うと、そばに座っていた生徒が「ぼくです。」とニコニコ笑って手をあげる。「特上なんて10年早い! オレだってまだ食ったことがないんだぞ。」というと、あちこちで「そうなんだよ、贅沢なんだよ、おまえ。」なんて声が飛び交う。

 それでも「特上」の包装紙は、「どうだ!」と言わんばかりに燦然と輝いている。やっぱりここはひとつ「特上」を食べてみなくてはなるまいと、その包装紙を睨みながら思ったのだった。 


Home | Index | back | Next