7 折れかけの杵柄

2001.12


 ひょんなことで、ある有名な書家の作品を家でしばらく預かることになった。ただ預かっているのも何だから、居間に飾ってみた。飾ったものの、何と書いてあるのかさっぱり分からない。これだから書は困る。

 書は困る、ではない。困るのはこのぼくだ。曲がりなりにも国語の教師である。国文科をいちおう出ている。それなのに書を見ても読めない。筆をとったら悲惨なことになる。お葬式の記帳のときなど、筆ペンしかないなんてことがありませんようにと、故人の冥福より先に祈るしまつだ。

 母親が、娘の友人を書の先生と仰ぎ、その先生がまた大変な書の達人とあって、指導よろしきをえてメキメキ上達するものだから、せめて通信教育ででもその先生に書を習おうと殊勝にも思い立ち、弟子入りをお願いする手紙をペンで書いたことがある。かれこれ二十年も前のことだ。

 先生からのお返事は、お引き受け致しますけれど、本当は先生は(彼女は妹の友人なので、妹が大学受験のときに、彼女も一緒に勉強をみて差し上げたことがあり、そのためいつまでたってもぼくを先生と呼ぶのだ。畏れ多いことだ。)毛筆よりもまず硬筆をお勉強なさったほうがよろしいかと存じます、とあった。全く洒落にならない。

 それでも通信教育をしばらく続けたが、あるとき展覧会で入賞した母親に、いったいどのくらい練習したのかと質問すると、さあ300枚は書いたかねえ、とこともなげに言うのを聞いて、書というものは、展覧会に出すまでに何百枚も書いてそのいちばんいいのを出すものなのだと初めて知って、即座にあきらめた。ぼくにはそんな時間はないし、あったとしても根気がない。

 今思えば残念なことをした。石にかじりついてでも続けていればよかった。そうすれば、入賞することはなくても書が読めるぐらいにはなっていただろう。

 とにかく、さっぱり読めない居間の書をしばらく睨んでいると、そこはいくら大学国文科を中退同然の不勉強者でも、昔とった折れかけの杵柄、その中の数文字が読めた。どうやら和歌らしい。こうなったらしめたものだ。インターネットの出番である。

 その数文字を検索にかけた。すると一発で当たり。その歌をメモして再び書に向かうと、面白いように読める。ウグイスがホーホケキョと鳴くと知ったあとは、どこで聞いてもホーホケキョと聞こえるようなもんである。

 読めたとき、俄然その書が輝きだした。書はやっぱり読めなくてはダメである。



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