6 いい気持であった。

2001.12


 寝付きがよすぎて、考えごとをしようにもベッドに入ってから5分ともたないのだが、それでも近頃はそのわずかな時間で枕元のラジカセでラジオを聞くことがある。

 先日そのラジオで、太田治子(太宰治の娘)が「文学の力を信じる」というような題で、林芙美子について語っているのを聞いた。

 林芙美子といえば『放浪記』があまりにも有名だが、原作はおろか、森光子の舞台も見ていない怠慢さ。読んだのは、教師になりたてのころ教科書に載っていたので授業で扱った『風琴と魚の町』だけ。ただ、その尾道を舞台にした自伝的な短篇『風琴と魚の町』はなかなか印象的な小説だったので、林芙美子に好感はもっていた。

 しかし今さらなんで林芙美子なのかと、耳を傾けていると、太田治子は、「河沙魚(かわはぜ)」という短篇について、そこに流れる林芙美子の強さということを熱っぽく語った。

 シベリア抑留からなかなか帰ってこない夫を、その夫の父親、つまり舅と一緒に暮らしながら待つ妻が、あろうことかその舅と過ちをおかし、子どもが生まれてしまう。そこへ間もなく夫が復員してくるという、まさに地獄的状況が描かれる。しかし、そうした状況に置かれた妻を、林芙美子はこう描いているのです、と太田治子は言って末尾の部分を朗読してくれた。

 明日は隆吉が戻って来る。嬉しくない筈はない。久しぶりに白い前歯の突き出た隆吉の顔が見られるのだ。いまになってみれば輿平との仲がどうしてこんな事になってしまったのか分からない……自然にこんな風にもつれてしまって、不憫な赤ん坊が出来てしまったのだ。――長い事、橋の上に蹲踞んで(しゃがんで)いたせいか、ふくらはぎがしびれてきた。千穂子は泥の岸へぴょいと飛び降りると、草むらにはいりこんで誰かにおじぎをしているような恰好で小用を足した。いい気持であった。

 すごいなあと思いながら、寝てしまった。

 翌日から、懸命に『河沙魚』の載っている本を探したが、身近にはなかった。いったいどの本に収録されているのか最初は見当もつかなかったが、昭和27年刊『林芙美子全集』の第11巻に収録されていることを突き止めた。これも図書館のインターネットでの検索システムのお陰だ。

 ためしにネット古書店で検索したら、ちょうどその本が出ていた。1冊2000円。意外に高値だ。それでも何としても読みたかったので注文した。

 数日後、尾道の古書店から、その本が届いた。

 いい気持であった。



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