5 古びないぞ、枕は。

2001.12


 大学時代、「源氏物語」の読書会をやっていたころは、「枕草子」より「源氏物語」のほうがずっと偉大だと信じて疑わなかった。なんといっても「源氏」の圧倒的なスケールの大きさは、若いぼくを圧倒した。これ以上すごい文学なんてないと当時は思ったし、基本的には今でもそう思っている。 

 しかし、「源氏」に比べたら「枕」なんて、という思いは、今ではもうない。清少納言は自慢ばっかりして、気の強い嫌な女だというようなことを言う人が国語の教師にも多くいて、そういう先入観を生徒に植え付けたりするようだが、罪な話である。こんなステキな作品を、一教師のつまらぬ偏見で、多くの未来の読者から遠ざけるなんてことは絶対あってはならないことなのだ。

 「にくきもの」の段。「にくきもの」とは、今でいえば「やだなあと思うもの」ぐらいか。少し強くとれば「むかつくもの」でもいいかもしれない。こんなことが書いてある。

硯に髪の入りてすられたる。また、墨の中に、石のきしきしときしみ鳴りたる。

 君たちはあんまり墨なんかすらないかもしれないけど、硯に落ちた髪の毛って取りにくいよね、なんて授業で言うと、「ああ、そうそう」という顔をしてしきりに頷く生徒もいる。あれはさあ、こうして親指と人差し指でつまもうとしても、あんまり細いもんだから取れないのね。無理して爪を使って取ろうとすると、今度は爪や指の先が黒くなっちゃって、まったく嫌になるよね。それに、墨のなかに小さい石なんか入っていると、「きしきし」って音立てるのが嫌だっていうのもよく分かるよね。まあ今でいえば、黒板を爪でこすったときみたいな不快感だな。生徒は、ほとんど全員共感を示す。

 今から千年も前の文章が、まったく古びていない。今のぼくらの生活感覚のど真ん中に飛び込んでくる。これはやはりスゴイことなのだ。

 そういえば、石けんに付いた髪の毛を簡単にとる方法があるんだけど、知ってる? 遠藤周作が昔エッセイに書いていたんだけどね、あれもなかなかとりにくいでしょ。無理してとると、石けんがデコボコになっちゃうし。で、どうするかっていうと、その毛の付いた面をお尻でこするのさ、するとあら不思議、とれてるんだ。

 何人かの生徒は家できっと試してみるだろう。その姿が目に浮かぶ。

 遠藤のそんなたわいないエッセイも、「枕草子」以来の正しい伝統に則っていることは明白だ。やはり「枕草子」こそ日本の随筆の親なのである。



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